■■■ 07年8月15日 本気で倒れるかもしれない恐怖を感じた独身4日目 ■■■


■■■ その1 ■■■

 携帯のアラーム(って便 利だよね)を3時半にセットしてでも起きたのは4時、戸締りをして家を出たのは4時半(まだくら〜いのだ)、バッグの中にはD40と10-17フィッシュアイ/18-200(万能レンズ)を忍ばせた。よし、出発だ。

 30代まではいろいろ無理もきいたが40代になると、とたんに体の無理が利かなくなる。っていうかまず運動自体が激減していたりするので、無理が利かないのも当たり前だ。その無理の代表的なのが、「会社までチャリで行く」とか「海までチャリで行く」だったりする。昔は町田-江ノ島-鎌倉-江ノ島-平塚-大磯-平塚-町田なんていうのはケロッとした顔(ゲロ!だったかもしれない)してやっていたが、そんな無謀からは足が遠のいていた。でもこの前の高尾山は楽しかった・・・ってのが脳裏に残っており、じゃあやっぱり夏は海でしょ、でも暑いから日の出前に家を出るっきゃないでしょ(帰りのことなど何も考えていない単細胞な俺!)、という思考が働いていた。

 ちなみに通勤用ママチャリには名前が漬けてある。その名は「マクリアムトン2号」だ。マクリアムトン2号は快調に「境川サイクリングロード」を飛ばす。そうそう、行き先は江ノ島だ。家のすぐそばの境川をひたすら下っていけば、上り下りというチャリこぎにとって「弊害」以外の何者でもない無駄なエネルギーを使わなくて済むからだ。何年前だか忘れたが、大和あたりからは境川コースを走ったことがあったが、今回はスタートからすべて境川なのだ。

 早朝はいたって気持ちが良いのだが、唯一つらいことがある。それは極小の羽虫が顔にバキバキ当たることだ。これが目に入ると非常につらいのだ。

 さて>町田ヨドバシに着いた。



 ヨドバシは境川べりにありとりあえず抑えの1枚を撮った。でその直後、48時間前に乗った電車(飲みで朝帰り)は出発した。



 ああ、あの電車だったんだ。ああ、なんかすごくいとおしい、でもなんかもっと前の感じがするなぁ、48時間前だったんだなぁ・・・と干渉に浸ってシャッターを切った。なのでぶれた。

 そしてここからは初コースなのであり、気分もルンルンである。夜も明けてきた。空がオレンジ色に染まってきている。オレンジ〜紫〜濃い青のグラデーションが大好きなのだ。1日に2回しか経験のできない瞬間だ。



 そして日の出は246と16号(旧道)の交差点で迎えた。ハラショ〜!(ってなんでロシア語なんだろう?)



 ずんずん進むと川沿いにはいろいろなものがある。そのたびにチャリをとめて写真を撮っている。日も昇るとウオーキングやら犬の散歩(ほとんどこれ)の人やらがサイクリングロードを占有する。なのでどうでもいいようなものを撮っているとちょっぴり恥ずかしかったりする。でもこれなら問題なさそうだね。きれいなひまわりを見たのはすごく久しぶりって感じがする。



サイクリングロードはこんなんだ。



日が昇ってまだ時間がたっていないで川は陰になっており、カワセミがいるかどうかを確認しながら走りたかったのだが、無理だった。途中には何たら遊水地みたいなのができていて、そこを3人の女の子が走っていた。



彼女らは誰にでも挨拶するのだ。当然私もされたわけで、大きな声で返事を返した。やっぱり挨拶は基本なのである。

 そして藤沢私立病院が見えると、もうゴール間近の印だ。



 ここから藤沢橋を経由して藤沢駅の横を走り、また境川沿いを走る。そして係留されいているボートや、江ノ電なんかを見るとそれはそれは、気持ちが盛り上がってくるのである。





 そして海沿いに出たのは江ノ島水族館前だ。



 時間は7時ちょうど。家から2時間半だ。途中で写真を撮りながらなので実質は2時間ちょいというところだろう。ここに地図をつけておく。



みにくいけど、緑の転々が行きの行程だ。距離にして39km。これなら秋葉原あたりまで行けそうだ。楽勝だぜ!(といってられるのも今のうち)




■■■ その2 ■■■

 「海」それはいつでも心をわくわくさせる。陸路から「海」が見えた瞬間、誰もが「あっ、海見えた!」と声を発するだろう。海ってそういうものなのだ。

 当然海についた私もわくわく度が最高潮に達していた。鵠沼海岸に出ると青い海と青い空が目に痛いくらいだ。



 青っていいねぇ。ズームアップしてみると富士山が見える。



手前に見える山は湘南平だな。浜はまだ人がまばらだ。



 まだ7時ですからねぇ。しかしサーファーは朝から元気だ。



 サーフィンって流行りすたりって無いのだろうか?いつでもサーファーいるもんね。サーフボードを運ぶのになにやら新しい治具が目に付いた。自転車の取り付けるスタンドアームがあって、それにサイドカーのようにボードを乗せている。でもちょっと危ないぞ。さてこれが江ノ島だ!



 っていっても江ノ島を知らない人はいないだろう。とりあえず島に渡ってみることにした。ドンつきの市営駐車場の情報を仕入れるためだ。橋の上にはカモメがいい感じで休んでいる。大滝詠一や山下達郎の世界だね。





 では東浜の方へ行ってみましょうか。おお、おまわりちゃんが朝もはよから仕事しているじゃん。



 しかしこの暑さであの服っていうのは「ごくろうさん」以外の何物でもないね。でも見ていた感じでは誰も捕まっていなかったなぇ。でも海岸は相変わらず人が少ない。



 朝早いからかお盆だからか?浜には広告がそこらじゅうに立っている。嫌だね、こういうの。海の景観を台無しにさせる。



 浜って誰のものなのだろう?と考えさせられる。海水浴客に比べ相変わらずサーファーは多い。しかしこんな波でサーフィンして楽しいのか?と問いかけたい。



 知人に若い女性を引き連れてサーフィンをしていた男性フェロモン(安パイフェロモンかもしれない)バリバリの方がいるので聞いてみよう。でも人の少ない浜ではこんなほのぼのした光景にも出会える。



子供にとっても海は楽しくてしょうがないのだろう。波打ち際っていうのは陸と海の接点であって、特別なものを感じさせるのだ。



 さて134を東へ向かおう。途中までは山側にしか歩道が無いため、江ノ電脇を走る。すると江ノ電が「プオ〜ン」と音を鳴らして手が届くほどの横を走っていく。



 でも江ノ電っていかにもふる〜いタイプの頃載ったことがあったが、最近は色は同じでもハイテク化されているみたいだね。そして134のハイライトと個人的に思っている稲村ガ崎まで快適なサイクリングを楽しんだ。いやぁ、ほんとにここは快適だねぇ。そして28年ぶりに稲村ガ崎に寄ってみることにした。



 いままで封印していた稲村ガ崎、28年前の出来事がフラッシュバックしてくる。ああ、これを語ったら1万行じゃ足りないくらいの文章になってしまうだろう。なので勿体つけるわけではないが、今回は割愛させていただこう。いつかまた「自分史」でも書きたくなったら、ハイライトとしてここが登場するのだ。さてその稲村ガ崎、「あれ?こんなんだっけ?」というくらい殺風景だった。なんかもっと展望台って感じじゃなかったっけ?そこでリス発見。



 10-17mmがついていたので急いで18-200に付け替えていたら、どっかに消えてしまった。さらにすぐ後に上半身裸のサーファーの兄ちゃんがやってきた。この兄ちゃんには感動した。江ノ島のほうを向いて、両手を合わせて祈りをささげた後、黙祷していた。誰か仲間を失ったのか、それとも海に感謝しているのかは分からないが、見掛けで判断するのは良くないと感じた一瞬だった。

 あとは下りだ。ここでもまた由比ガ浜・材木座海岸がひらけて見える絶景なのだ。滑川までは順調だ。海岸には海草男がいた。海ではみんなバカになるのだ。



 滑川を左曲がり鶴岡八幡宮を正面にすえたが、暑そうなのですぐ左に曲がり住宅地を走った。みな高級住宅ばかりで資本主義社会っていうのを嫌っていうほど感じた。さらに走ると、おお江ノ電に再開だ。駅名は「由比ガ浜」らしい。が、浜って感じじゃないよなぁ。さらに進むと「長谷観音」という交差点にでた。この辺が鎌倉大仏名所なのだな。お恥ずかしいことに長谷寺も鎌倉大仏もまだ見たことが無い。所詮東京生まれの人間はそれほど名所に行っている訳ではないのだ。ちなみにディスコもいったことが無いし、スキーもゴルフもやったことが無い。合コンは大学のときに2度やったが、「もうやらない」と違うほど楽しくなかった。所詮オタクにはオタクが似合う「道」があるのだよ、明智君。

 さていきなりワープして、江ノ島突端に到着だ。ここは市営駐車場であり終日800円というリーズナブル価格である。ちょっと海まで遠いが、江ノ島の岩場で遊ぶなら絶好な駐車ポイントだ。



 マクロレンズを持っていけばよかったと嘆いたが始まらない。寄れるフィッシュアイレンズでレンズが岩に当たるほど近づいてカニを撮った。



 カニは臆病なので少しでも人の気配があると隠れてしまう。カニ以外にもなんだか分からない生き物とかいるし、



フジツボは嫌っているほどこびりついている。



 さらに奥に進むとちょっと入り江っぽくなっているところがあり、そこでは老若何著がシュノーケリングしている。楽しそうだ。



 そして一人の兄ちゃんが手に何かを持っていた。おお、「たこ」だ。たこが取れるんだこんなところで。驚きだ。遠くには真っ白い船が見える。JAPAN COASR GUARDと書いていある。沿岸警備艇か?



 そして頭上は風を受けて羽なんてほとんど動かさない「トンビ」が舞っている。かっこいいなぁ。





 そして時間は10時。今から帰ればお昼過ぎには家に着くだろう。と江ノ島を後にした。そして地獄が始まった。




■■■ その3 ■■■

 10時というのにもう帰りとはいささか常軌を逸している!と思われるかもしれないが、午後の日差しの強さに勝つ自信がない、無謀に焼いた若い頃のお釣りとして、肩を中心として「シミシミ」じじーモードになっていたりする現実を見れば、「やっぱり日差しが弱いうちに帰ろう」という決断は当然導き出されるのだ。でも冷静になって状況を把握すれば、10時だってすでに太陽カンカンじゃん!っていう現実が待っているのであった。

 さて江ノ島ドン突きの駐車場横から愛車「マクリアムトン号」にまたがり、心地よい海風を受けながら車の少ない江ノ島橋(って名前かどうかはわからない)を気持ちよく走った。そして信号でどうしようと0.256秒考えて、左に曲がった。っていうか、信号が赤でまっすぐいけなかっただけだけど・・・。昔まだ体力が有り余っていた頃はここから平塚や大礒まで足ならぬ輪を伸ばしたが(こんな慣用句あるのか?)、今は体力温存だ大命題であり、どれだけエネルギーを使わずに家に帰れるか?が最大の関心ごとなのだ。

 江ノ島水族館を過ぎ(10時なので開店直後なのかぁ〜なんか時間の感覚が違うなぁ)西へ向かって道路左側(海側)を走るが、なかなか道路を渡る信号をめぐり合わず、ひたすら海側を走るのだ。そんな時自動販売機が私を見つめていた。昔の根性一発リポビタンDの時代じゃないのでちゃんと水分を補給することにした。すでに500mlを3本飲んでいる。そして120円のミネラルウォータのボタンを押したが出てこない。うぉ〜ないじゃんないじゃん。八つ当たり気味にいろんなボタンをボンボコ押してたら、「ピピッ」と音がしてボタンがアクセプトされて「ガタコン!」となにやら出てきた?ええ?120円ですよ、500mlで120円っていったら、あなたミネラルウオーターでしょう。出てきたのは「500mlのCCレモン」だった。本来ならなぜかすごく得をした気持ちでルンルンになるのだが、
 1)のどが渇いたときにジュース系を飲むとのどに甘さが残り、さらに何か飲みたくなる
 2)炭酸500mlを飲み干すのは結構大変(でもなぜにビールは飲めるんじゃ?)
 3)炭酸は余せない
という理由で、ちょと複雑だった。で、無理して500mlを飲みきった。腹は炭酸で膨れ、大量炭酸に弱い私はちょっとパワーダウンした。

 炭酸で満腹になった私は、まだまだ颯爽だぜ!と海側を走っていた。すると地下道が現れ道路を渡りたかった私はあり地獄に吸い込まれるありのごとく、地下道に吸い込まれていった(まったくもって比喩の使い方がへたくそな俺である)。そして「たぶんこの道をまっすぐ行けば藤沢橋だな!」という推測の基、じゃんじゃん進んだ。するとそこに老人ホームが現れた。実は一緒に仕事をしている先輩と話をしている時、その先輩の家の話になり、たしか老人ホームのそばって言っていたことを思い出した。そしてちょっと横道にそれた。

 そしたらなんと目指す表札が目の前に飛び込んできた。これほどまでに安易に出会ってしまうとブザーを押さないわけにはいかない。だって前に「魚」を送ってきてもらったんだもんね。でも当人は釣りで不在なのであった。まあ想定された事態である。そしてナイスな奥様と多少の世間話をしたあと、汗だくでどろどろな汚い格好と、サイクリングっていう言葉とあまり馴染まない、ママチャリ「マクリアムトン号」に多少の負い目を感じそうそうに先輩宅を後にした。

 さあ、ここからが本当の意味の帰路なのだ。ああ、思い出すだけでも滅入ってしまう帰路だった。

最終話に続く・・・




■■■ その4 ■■■

 なが〜い時間があいてしまった。本来はお気楽な夏休みに、食べたものとやったことを書き留めておこうと思っただけなのに、こんなことやちゃったもんで、すっかり計画が狂ってしまったのだ。さらにサイクリングの終盤がちっとも進まないのに業を煮やした読者様からは、「心配してます」とか「早く次を読みたい」とか「死んでませんよね」とか激励だか心配なんだか判断の付かない応援メールが来たりしている。反応があるのは何よりうれしい限りなのであ〜る。けど死んだにも等しかったのは否定しないよ。

 さて正確な時間を記しておこう。時間は10時44分、ここで東海道線を越えた。なぜこんなに正確に時間がわかるかといえば、デジカメ写真の中にEXIFというデータ規格があり、そのなかに「撮影時間」というのがあるのだ。風景というよりもむしろそこにいたのは○時○分○秒ですよ、ということにデジカメを使うことも立派な使い方だろう。なぜか今日は硬い調子で入っているなぁ・・・

 東海道のなが〜い踏み切りを越えるとそこにはNSKがあった。何年か前に散々出張したなぁと思い出した。ああ、あの頃は量産の鬼として君臨していたのだなぁと、ちょっとセンチメンタルになった。しかし太陽がカンカンな11時前、そんなセンチメンタルな気持ちはあっという間に蒸発してしまったのだ。高架になっている道の影を走ることに、マズローの欲求5段階説の最も低次の欲求である「生命の欲求」を感じたのだった。そして一山越えて、下りでスピードガンガン乗せて交差点を横切ろうと思ったら赤になった。そこが魔の「藤沢橋」なのだった。

 さて藤沢橋。来るときもちょっとこの辺で道を迷った。なので、来た道を逆のトレースすればよいのだ。迷いようが無いのだ、と思い切っていた。さらに坂を下ってきた道をそのまま直進すれば、小田急江ノ島線と平行に走っている藤沢ー町田線ってのがすべての根幹になっていたのだ。そしてそういう地図が頭にできあがっていた。なのでどうやっても斜め右前が目指す境川方向っていう風になっているのだった。実はこの直進路が藤沢-町田線っていうのがばっちり間違っていたのだが、それに気がついたのは家に帰ってきてからだ。藤沢-町田線は左に曲がるのだった。

 というように方向感覚が間違っているのだから、どうやっても思っている道に出ない。朝来た道を逆トレースすればよいのだけど、その道が見つからない。ということで、まずは藤沢橋の北東側のエリアをあっちに行ったりこっちに戻ったりと30分ロスした。炎天下のこういうロスは体にも堪えるし、精神的にはもっと堪える。で、にっちもさっちも行かない状況なので、まずは藤沢-町田線と思い込んでいた道(上り坂になっている北進路)にマクリアムトン号を進めた。でも上り坂って嫌ぁ〜な感じであって、これまた精神的に参ってしまうのだ。だって、川沿いのサイクリングロードは坂が無いっていうのが最大の売りであって、「それがあるからやってきたのにぃ〜、うん、もうぅ〜」って・・・(これをかわゆい女性が肘でグイグイやりながらやってくれれば言うこと無いし、エネルギー充填120%!なんてなるんだけどなぁ ⇒Kさん頼む!)

 そしてちょびっと北進方向の坂を上り始めたらすぐに右に曲がる道が出た。何度も言うように頭の中は右斜め前(いつまでたっても北東よりも右斜め前が脳にジャストに染み渡るねぇ)が帰路方向なので、坂を上るのも嫌って事もあって、右に輪を進めた。でもみた感じどう見ても知らない道である。知らない道をルンルンで進む元気はすでに汗とともに消滅している。でもそれが一番と思われたわけで、だったら進むしかないという、至って消極的な決断のもと輪を進めた。そしてしばらく走ると小さな川がある分かれ道が出た。もう「川川川」と川を切望していた私は、ぜんぜん景色が違うけど、そっちのほうへ吸い込まれていったのだった。

 住宅地の中を細く流れる川はどう見ても「境川」には見えない。見えないが「川」というだけで「やったぁ〜でたぁ〜」というのを夢見てひたすら突き進んだ。そして住宅地を抜け、2車線の上り坂に出た。チャリで上り坂はつらい(あっ、さっきも書いたような)。でもそこを昇らなければ帰れないなら昇らなくてはいけないのだ。途中何人か人がいたが、なんとなく取り混んでいる風で、道を聞くっていう雰囲気ではなかった。唯一バス停に子供がいたが「すいません、境川はどっちですか?」と聞こうかと思ったが、まだエネルギーが残っている段階で、「俺一人の力で帰ってやる!」というプライドが邪魔をした。

 今から思えばここで修正していればまだ被害は少なくて済んだのである。全くして意味をなさないプライドを持った私なのだった(まだまだ終わらないじゃん!)




■■■ その5 ■■■

 さて、見知らぬ地でヒーヒー言いながら坂道を登る私だったが、まだなんとか力が残っていた。そして坂を上りきると大きな道路に出た。「藤沢橋から北上するとそこには1号が横に走っている」という記憶から、これは国道1号だ!と決め付けたのは同然の流れだ。今になって思うと思考能力が低下しはじめたのがここいらかもしれない。しかしどうみてもおかしいし、どう考えてもおかしい。こんな1号は無いだろうし道路が1号っぽくない。ここで決断しなくてはならない。
 ・来た坂道を戻る(蓄えた位置エネルギーを無駄に放出・・・ああ、もったいない)
 ・この1号っぽくも見える道に運命を任せる
さあ、どちらを選んだのだろうか?答えは前者なのであった。あまりにも道として違う雰囲気がバリバリに出ていたので、仕方なく引き返した。遠出して道を間違えても戻るのがチョ〜嫌いな私である。この決心は我ながらあっぱりなのであった。

 さて戻るのはいいがどこまで戻ろうか? で、川を限りなくトレースしようと思った。そして川というには情けないほどの川まで戻り、川に沿って走った。すると川は畑の横になり、さらに舗装路ではなくなった。さらに進むと砂利道でもまったく手入れされていなくて、さらに草がボーボー、死体がほおって置かれてもおかしくないような様相を呈してきた。そして走ること10分、とうとう行き止まりになってしまった。嗚呼・・・なんてこった!

 しかしこういうところでもちゃんと写真を撮る私がいる。



さすがは「デジカメ番長」である。EXIF情報から見ると時間は11時11分。おやおや?さっきの東海道を越えたところから1時間は走ったと思ったのだが、30分しか走ってない。知らない道を不安に走るのは時間がなが〜く感じられることがよく分かる。さて行き止まりなんだから戻るしかないのである。戻るのだが、来た道をそのまま戻るか、どうも東に流れている気がするので、ちょっと急坂を登って少し西側に進路修正するか?人生は絶えずこうした決断に迫られているのだ。そして私は来た道を戻った。それは単に「坂道を登りたくない!」っていう、至って軟弱な視点から選択されたものだ。でもここで坂を上ったらまだ被害が少なかったのだ。それも家に帰ってから地図ソフトで判明した。

 さて戻ってそうそう、さすがに恥も外聞もなく人を探した。そしてタバコ屋みたいなところで店前の自販機にジュースを入れているおっさんを発見した。よし突撃アタックだ!

「すいません、境川に出るにはどっちの方向に行けばいいんですか?」
「境川〜?ちょっとわからないですねぇ」
(えっ?すぐそばを流れているはずなのに分からない?大丈夫かいおっちゃん!)
「そうですか・・・境川で町田方面まで帰りたいのですけど・・・」
「それなら藤沢橋があっちだからカクカクシカジカ」

 と結局おっちゃんも分からないのであった。でもその時は気がつかなかったが、藤沢市立病院と聞けば良かったのだ。今さらながら遅いけどね。で、途方にくれた。完璧に途方にくれた。途方にくれてもぎらぎらの太陽とアスファルトからのストーブ以上の照り返しは容赦ないのだ。止まっていたら死んでまう、行動しなきゃ。と自分に鞭を打った。そして出した答えは、さっき戻ってきた1号の合流点みたいな場所にもう一度行こうということである。そしてまたもや大汗をかいて坂道を登りきった。

 結局今回の日記に冒頭に戻っただけなのだった。




■■■ その6 ■■■

 すんなり一話で終わるはずだった帰路だが、読者様の期待は高いみたいですでに帰路だけで4話目に突入してしまった。これじゃあ、SaySaySayじゃなくて、メインページにひとつボックスを作っちゃってもいいんじゃないか?というくらいだ。でもそんなかっこ悪い話をメインページに持って行きたくも無いので、ここでチマチマ書くことにしよう。

 国道1号らしきところにヒーヒーいいながら再度やってきた私は、2回目はためらうことなく東の方へ向く結構な下り坂を走り出した。しかし蓄えた位置エネルギーは徒歩だとそれほどでもないが、チャリだとそのエネルギーの威力を十分感じられるほどのスピードに変換された。恐いくらいのスピードだ。しかし進めど進めどぜんぜん知った景色にならない。10分ばかり走り、半ばやけくそになりかけていたそのとき青地に白文字、ああなんで今までこれを見られなかったのだ、という世間一般では「標識」と呼ばれるものが目に飛び込んできた。そしてそれを見た瞬間、独り言のように生声が口からふぅ〜っと出てしまった。

「マジかよ!」

 その標識には、↑(直進)が戸塚、←(左斜め鋭角後ろ〜来た道に近い方向)に原宿と書いてある。そしてその瞬間に自分のいる場所が明確になった。そうそう、よく海に行った帰りに北鎌倉から大船に抜け京浜女子大の信号を左折し、原宿に抜ける途中だったのだ。あ〜、こんなにも東に流れ着いてしまったのね。欧州からみた極東ジパングですよ、まるで・・・。でも来た道を戻る元気は無く、左斜め後方へ輪を進めることにした。しかし分かってみると不安は遠のくのであるが、えらく遠回りしてしまい、この炎天下の中家までたどり着けるのか?という違う不安が襲ってきたのだった。

 そして原宿までは山越えだ。さすがに今回はチャリに乗ったままで山越えはできなかった。途中でチャリを降りて押すのだが、顔から体から玉のような汗が地面にボタボタ落ちるのがよ〜く分かった。これが血ならさながらアクション映画で被弾した主人公だと思えるのだが、これは血でもなく私は主人公でもないのである。そして息はもう上がりっぱなし、「ハーハー」と呼吸はどんどん荒くなってくる。また「この辺はまだ自然がいっぱいだなぁ、いいなぁ」と普段なら感激しながら歩くところだが、そんな余裕は全く無かった。熱すぎる!

 しかしチャリのいいところは下り坂がめっぽう快適なところだ。一山越えると原宿の交差点まで大きな下りとその下りの半分くらいの上りであって、坂下にある信号の周期を上手くつかんで、下りから勢いを乗せて一気に上り、原宿交差点に到着可能だ。スピード出しすぎはちょっと危ないが、そんなことをいってられる状況ではない。で、計画はバッチグーであった。国道1号にでた。工事中の原宿の交差点を見て「すごく遠回りだ」ということを実感した。さらに信号は赤になったばかりで、全くもって元気一発な太陽をさえぎるものが無い交差点で待つのはめちゃくちゃ堪えた。

 原宿を過ぎると右手に国立がん病院を見ながら「深谷」の交差点まで下る。



この上ったり下ったりっていうのは、チャリマンにとって全くの拷問だ。何回も言うようだが、上り下りを避けるために境川ルートを開拓したのにぃ〜。また行きは例の高層マンションみたいな(ドリームランドの宿泊施設?)印象的なビルが進行方向の左はるか遠くに見えたのだが、今は逆サイドにいてかつ帰路方向で左遠くに位置している。つまりやっぱりえらく遠いところを通っているっていうことなのだ。

 深谷では右に曲がると「かまくら道」、昔良く通った道だ。途中で戸塚の米軍通信所なんて、なんだか見ているだけでも楽しいくらいの不思議なアンテナが張り巡らされている。それに最後の瀬谷のところで直線の海軍道路を通るのもいいのだか・・・でもこっちのルートは道は狭いし、プチアップダウンはあるしやめた。ここは堅実に境川方面を目指すことにした。そしてまた坂のぼりだ。今回は急坂ではないので降りなくても済むのだが、ダラダラダラダラとなが〜く続く坂もこれまた嫌なもんだ。で、坂の途中で500mlの水分補給だ。これでたかだか数時間で2リットル飲んだ事になる。すごいぞ。こんなに水分って取れるんだ、って思ったけど、飲みに行くと結構ビール飲んでるからそうでもないことにあっさり気がついた。

 この上り坂の頂上からはまた下りだ。もう勘弁してくれよ。と思ったでもやっぱり下りは気持ちいい。楽チンだ。すると下りきったところに川が見えた。おお、何日も前に通った川に感じられたが、たかだか数時間前に通った川だ。そしてようやく本来いるべきところに戻ったのだった・・・。




■■■ その7 ■■■

 「やった!やっと境川に戻った」と、知っているところに戻るとやっぱり精神的には100万倍も落ち着けるものだと思い知り、木陰に止まり残っていた水を飲み干した。この田舎的な感じ、川の両側にあるロード、緑が多い側道。そして境川に戻った記念で写真を撮った。このなんでも写真を撮っちゃうのを「記念」という一言で済ませるのが、デジカメ番長たる所以である。でもさすがに長い境川、それっぽい感じだが、どこの辺りだったかは思い出せない。「ああ、俺も記憶力が弱くなったなぁ・・・」と思った。

 そしてマクリアムトン号を走らせた。気持ちも晴れやかになると、疲れ果てているのも係わらずなぜかペダルが軽い。左右に風景を見るのにも余裕が出てきた。そんなせつな、「ん?」と一瞬視界を横切ったある文字があった。

「い・ず・み・か・わ」

えっ?さかいがわでないの?だってそっくりじゃん。と、急に不安が襲ってくる。そういえば、なんか風景も違って見えるし、やっぱり朝ここ通って無いような気もする。200m進むと川がやけに狭くなり、やっぱりここは違う川である、と結論付けないわけにいかないという景観になった。一気に疲れた。「またかよぉ〜」である。もう悪い時は悪いことが重なるのだ。そしてさらに西で行く決心をした。和泉川を北上してどこに出るか分からない冒険はできないのだ。

 川というもの、一番低いところを流れるのは物理法則上当たり前であり、川沿いを走り続けない限り「上り坂」しか待っていないのは、寺内貫太郎がちゃぶ台(テーブルと言っては味がありません)をひっくり返さない日が無い・・というくらい当たり前なのである。なので境川を目指して左折し西へ輪を進めるのだが、地理で習った「河岸段丘」よろしく、すぐに急な上り坂になったのだった。とてもとても漕いで上れないので、押しながら上った。当然のことながら、汗がぽたぽたと地面を打った。しかし急坂なのと引き換えに距離が短く、すぐに通りに出た。その通りは先ほど上って下った道だった。まっすぐ来ていればエネルギーを使わずに済んだのに・・・

 出た道はこの辺りで一番高地であった。眺めが良い。風が吹いている。でも田舎だ。田舎は好きだ。好きはセナ、セナはブラジル、ブラジルは日本の裏側、裏側は点対称、点対称は天体ショー、天体ショーは流れ星、流れ星はペルセウス座の流星、流星はマッハGOGOGOの流星号・・・・と終わりの無いくだらない話はここで終了。

 そして眼の前に「相鉄/いずみの線」がど〜〜〜んと高架をさらしていた。畑の中にずんずん支柱が立っている。しかし和泉区は田舎感炸裂で親近感が持てる。道路を渡って、相鉄高架の下の畑の中の細い道を進んだら「めちゃさびしい駅」があった。近寄ると「ゆめが丘駅」なんていう、いかにも新興開拓地的でかつ安易な名前が書いてある。一体こんな畑の中の駅、誰が利用するんじゃい?ってほどの立地だ。近くに畑中角栄という人が入るのかもしれない。

 そして畑の中の、耕運機しか通らないような細い道の先にはくだり気味の森がある。下り!というその地形に期待しながらも、期待してはいけないという天使と悪魔のやり取りを無視し、本能のままマクリアムトン号を進めた。急坂を下り、急坂の意味する河岸段丘を感じ、森の中を下りきったら、平地に出た。向こう側にはこれこそ朝見た景色が広がっていた。ああ、俺の記憶はまだ生きている!と心で叫んだ。そしてサイクリングロードを遠目に見て明らかに地元の大地主的な家々が並ぶ細い旧道を走った。すると頭の上を何かが追い越していった。

「あっ、カワセミ!」

 鮮やかな瑠璃色の背中を見せて進行方向へ飛んでいった。そして脇に流れる50cm幅くらいのきれいな小さな小川?に止まった。急ブレーキをかけ、カメラを出したがそのせつな、飛んで行ってしまった。そして境川のサイクリングロードに戻った。時間は12時15分だった。えっ?まだ12時過ぎ?と驚いた。印象としては14時って感じだったけどね。

 しかし境川に出てしばらく走ると、猛烈に疲れてきた。容赦ない太陽が体を焦がすのだ。それでもひたすらペダルを漕ぐ。日が西側に傾き始めているので、サイドは日陰が多い川の左側だ。少しでも日陰を選ばないと、本当に倒れてしまいそうだ。もう無心でペダルを漕いだ。頭に浮かぶのは家に帰って水のシャワーを浴びた後、冷たいビールを浴びるほど飲むことだけだった。長後を抜け、大和を抜け、小田急の横を走り、田園都市線をくぐり、246を越えるあたりからは、もう疲労困憊だ。私にとってこれほどヘタルのは珍しい。やはり暑さではなく熱さのせいだろう。

 さらに走り続けるが、町田の駅まであと4〜5kmというところで、サイクリング人生始めての「休憩」というものを取ってしまった。木陰のベンチに座るが、10分たっても15分たっても、息が上がったままで、呼吸はぜいぜいのまま。さすがに「これが熱射病なのか?」とちょっと焦った。そしていくら休んでも体調が良くなる兆しが無いため、もう出発するしかない。残る対処は境川すぐ横のヨドバシ町田に入って涼むことである。しかし、こんな汗みどろな格好ではいるのがはばかられたのと、早くビールを飲みたいのとで、ヨドバシをパスした。  町田からは普段なら路面のより川の右側を走るのだが、いくら砂利道でもがたがた道でも左側を走って太陽の攻撃から身を守らなくてはならない。そして家に着いたときはもうボロボロヘロヘロクタクタヘニャヘニャと考えられる繰り返し語をいくら並べても足りないくらいであった。時間は13時50分。えっ?そんなんなの?と言うくらいだ。ヘロヘロでもチャリにスピードが落ちていないのは我ながらすばらしい。でも一気に家に入って、二つの望みをかなえたいのであったが、この100kmにも及ぶ炎天下のサイクリングに付き合ってくれたマクリアムトン号の勇姿を撮らないわけにはいかないのである。



 シャワーを浴びると腕が火ぶくれ状態なのが良く分かった。いくらでも冷たい水を浴びていられる。そして浴びるほどビールを飲んだ。ビールがこれほど美味かったのか?とつくづく思ったのは言うまでもない。実は渡しは結婚するまで「ビールが嫌い」なのであった。なんであんな苦いものが美味いのだ?といつも思っていた。それが変わったのは、ある暑い日に洗車してガンガンに汗をかいて、冷蔵庫にあったビールを飲んだときからである。そのとき初めて「ビールは味わうものでなく、”のど”で感じるもの」と悟ったのだ。それ以来、のどが渇くとまずビールなのだ。

 さて、火照ってどうしようもないくらいつらい体であったが、夕方からもううとうとと眠りに入った。しかし、頭がガンガンと痛く、かつ体中をアイスノンで冷やしている状態だ。体調としては絶不調なのであった。今度サイクリングをする時は涼しい時にしようと心に誓った。

 さて、実はサイクリングに行く前体重をはかっていたのだった。Akgであった。そして帰ってきて測ったら、2リットル以上の水を飲んでいるにもかかわらず、(A-3)kgであった。3k痩せてる・・・すごいぞ。そして翌日体重を測ったら、(A+1)kgだった。

 あれれれれ?

 --- Fin ---