■■■ 07年12月11日 erf特別見学会「日テレ 宮崎オブジェ内部潜入」 ■■■


■■■ はまぎんはすでに死んでいる ■■■

  今日は先週先延ばしされた「日テレ/宮崎駿デザインオブジェツアー」なのであった。時間はお昼、なので久しぶりの休暇をとっての参戦である。これは大阪巨大M社のデザイン屋さんである小林さんが、施工を担当した「乃村工藝」さんと知り合いってことで実現したものだ。ああ、広がる人の輪っていいねぇ・・・

 さてお昼に日テレ前集合なのであるが、1年前に銀行から来た「本人確認」要請をほおって置くわけにもいかず、しぶしぶ会社そばの横浜銀行に出頭するため、ちょっと早めに家を出た。10時前あたりの電車は若い女性と、じじばばがほとんどだったけど、けっこうかわいい子が多いので目のやり場に困ってしまう。じーっと見るわけにもいかないしねぇ。

 10時前に銀行につくが、銀行に一人で行き窓口に向かったのは生まれて初めての経験だった。こんなことで私の人生いいのであろうか?なんてことを真剣に考えているわけないじゃん!さて窓口のおばさんは結構ファットであった。電車にいたいい感じのお姉さんと違い目のやり場には困らない。でもおばさん、ちょっと不自然な営業スマイルを振りまいている。まあこれも特訓したんだろう。本人確認以外にもあわせていろいろと処理をして銀行を出ようとした頃、膀胱から信号が発せられた。トイレはどこだ? すぐ近くにフロア案内のお姉さんとおっさんがいたが、「近かった」という理由だでおっさんに決めた。

 「すいません、トイレはどこかにありますか?」
と大人のいたって紳士的な質問を投げかけた。でも返ってきた言葉は

「トイレ?2階の突き当たりっ!」
という、客商売とは思えぬ言葉だった。横浜銀行はすでに死んでいた・・・

 さて気を取り直して電車に乗る。冬の暖かい日差しを浴びたお昼前の電車は、やけにのんびりした雰囲気をかもし出している。とろとろとまどろんでいると、あっという間に新橋だ。そしてあっという間に日テレについた

■■■ みんな集合 ■■■

 日テレにつくなり、なにやら人がたかっているエリアがある。「さくら」という行為の正しさを自分で感じながら近づいていくと、どうやら生放送の番組が終わりかけているらしい。そこは外にガラス張りになっているスタジオ(ゼロスタジオというらしい)であり、番組が終わって芸能人がたくさん日テレ本館に移動していた。目の前50cmのところを、西川女史や時東ぁみ、中山秀がいた。他にも見たことある芸能人が何人かいたが名前が分からない。西川女史はめちゃくちゃ細かった。ちょうどカメラを持っていたので撮っても良かったのだが、なんかだれも写真を撮っていない。撮ってはいけないのだろうか?なので気を使って撮らなかった。

 時間は11時半、待ち合わせは50分なのでちょっと早いがマイスタ前の宮崎オブジェの前に行ってみた。あれれ?巨大電機メーカT社の松日楽さんがいるぞ。「松日楽さぁ〜ん」と声をかけようと思ったせつな、急ぎ足でどこやらに消えてしまった。後から聞いたら待ち合わせ場所がどこだか分からなくて、迷っていたとのことだ。松日楽さんはまだロボットが一般化する前にロボット関係技術書を書いて出版されているのだ。本屋でもブックオフでも見つけた。こんど買ってサインをもらっておこう。印税はそれなりに貰えているらしい。今度たかろう(うそです)。松日楽さんは「万年時計」の調査をした方であって、ギアとか触ったらしい。うらやましすぎる。

 さてそんな松日楽さんがどっかにいってしまったので、早く来ていた私の次に到着したのは、某巨大おもちゃ&某ゲーム関係(でいいんですか?)メーカが合体した会社で、なんと社長室に転籍になった川島さんである。ちょっとイケメンが入っている。東京で仕事をすると顔も東京ナイズされていくのであろうか?ちなみに私も東京在住である・・・が・・・

 そして次なる合流者は今回の仕掛け人であり、宮崎オブジェを施工したこの世界でもっとも有名な会社「乃村工藝」との橋渡しをしてくれた、関西超巨大メーカのロボット開発室長小林さんなのであった。小林さんはERF(フォーラム)に来るときはいつもラフな格好であるが、今回はしっかりダーク系スーツで決め、なにやらめちゃ渋いナイスミドルに変身していたのであった。ちなみに私は休みを取ったこともあり(実は夕方から会社に出て来いと命令が下っていたのだった)、非常にラフな格好であったのだ。この小林さんは私がロボットを離れて別な仕事につき「フォーラムを辞めなきゃいかんなぁ」と悩んでいたとき、「辞めなくて良いでしょう」と盛んにメールをくれたのだった。まあ趣味が模型っぽくその方面でベクトルがあっていたのもあるし、親子会社だったってこともある。私のとってはいい兄貴分なのである。ちなみに先週のERFの毎回恒例の参加者ショートトークで小林さんのことを「兄貴と呼ばせてもらいます。アニキ!」といったところ、夜の飲み会タイムで初参加の某ゲームメーカの若い方に

 「あっ、年下私が言うのもおかしいですけど、わたし佐藤さんのキャラ大好きですよ。今日のトークでで一番良かったです。最高です。」

 と大層お褒めの言葉を頂いた。私のもっとも大事にするものは「人を喜ばせること」なのであり、それが成し遂げられたようでなんだかうれしかった。人を喜ばせることでは日本最高地区である関西人の血が流れているのかもしれない。が、私のルーツはどこで輪切りにしても東北域から出ないことは明らかあるのだが・・・

■■■ そこぬけ脱線天国 ■■■

 この日記を日々ご覧の方は良くご存知であると思うが、脱線方面のボリュームが大きくなってしまうことが多い。あまりに脱線しすぎて本線がどこだか忘れてしまうこともしばしばである。そしてまた脱線することを事前に宣言して以下の文章に流れていこう。

 私が入社した同時からお世話になっているメーカの営業さんがいらした。まあ年末はカレンダーとか手帳とかその他もろもろがいただける、ありがた〜い月なのである。気楽に受付ロビーの降りていったが、あらまあ、前に一度紹介された、今風のかわゆい営業レディーも一緒なのであった。全く不意をつかれたが、そんなそぶりは全く見せないのが、人生を経験してきた男のテクなのだ。

 しかし難しい、難しすぎる。女性に接したらよいのか皆目検討がつかない。あまりに見すぎるのも良くないし、かといっていつもの営業さんばかりと話しているのもまずい。この絶妙なバランスは取れたのであろうか? しかしこのレディー、シワシワになるまで会社辞めません、と今時の娘にしてはえらくしっかりしたことを申すのだ。もしかしたら、いまどきの娘はみんなしっかりしているのかもしれないが、こちとらヘラヘラした人生を送っている身であり、なんだか心を見透かされてようで、ちょっとドッキリした。しかし「トーク」こそがわが人生と考えている私は、ひたすら相手をあきさせないトークを連発した。元来サービス精神が旺盛であり、沈黙が嫌いな私の真価が発揮される時間だ。しかしあまりにも枝葉に脱線しすぎて「すいません、もともと何話していたんでしたっけ?と聞く始末だ。営業レディーさんにはあきれられたとこ疑いなしである。

 またまた大幅に脱線だ。脱線の話からさらに脱線するなんて再帰プログラムのようで、「わけわかんねー」である。

 さて昨夜も脱線方向で終わってしまった。だから話を元に戻そう。ちなみに今回の参加者の方々にはPaddock-clubへ誘導することが決まっており、こんないい加減千万な文章を見られちゃったりすると、もうフォーラムいけましぇん〜。なんだかすごく恥ずかしくなってきてしまいましたでございます。ああ、メタメタだ。

 さてさて、今回は初お目見えである、関西巨大メーカロボット企画室リーダー(前回と職責名が微妙に変わっているのは、知らなかったことにしておいてくださいませ)小林さんの部下の若い方が2名いらしていた。初対面であった。すっごくまじめそうだ。やっぱりまじめなんですか?小林さん。

 続いて小林さんと同じ会社でデザイナーの榊原さんも合流した。榊原さんはデザイナーだけあって、マニアックなオーラをバンバンに出している。そして首にはフォーサーズのルミックスがぶる下がっていた。やっぱりルミックスなですね。ちなみに我が家のレコーダーはスゴロク2台、電子辞書と昔のカーステとMDプレーヤ数台とVAIOはソニー製で(土居さん倉田さん万歳!)、AVアンプとサブウーハーはヤマハで(大島さん桜田さん万歳!)、かみさんのノートPCはNEC製で(吉川さん藤田さん万歳)、フロントプロジェクターは三洋製で(名前が出てきません・・・)で、関西巨大メーカー製は・・・あっ、昔買ったCDプレーヤがそうでした。その榊原さん、私が初参戦ERFで発表したときのモデラー魂バリバリの発表内容を今でも憶えてくれていた。そして「あれは良かった」と、ほとんど趣味的発表を趣味的観点からほめてもらえて、私はそんな榊原さんに印象を与える発表ができたことをうれしく思うのである。榊原さんはLight Waveかな?今度教えていただきたいものである。

 まだまだ全員そろってない。脱線が多くてなかなか進まないのである・・・

■■■ 12時だよ、全員集合〜 ■■■

 緊張している。非常に緊張している。なぜかといえば、関西巨大メーカロボット開発企画リーダー様がerfメンバーにここの存在を開示してくれたからである。見てもらいたい欲求と今まで、ほとんど読者がいない状態で「平成いい加減男」的なノリのまま書き続けた超いい加減な文章が、スペシャルな頭脳を持つエンジニアの方々やセンスのいいマーケッターさんや巨大メーカー中枢に席を置く方々の目に触れるのである。もしこれが縁で「佐藤さんのすばらしい視点を我が社の広報として使わせてください」なんて・・・と、相変わらずの妄想壁が直らない私なのである。

 さて時間が迫ると続々と皆さんがやってくる。あ、東京巨大ソリューションメーカの吉川さんだ。実は私と一緒に参加している西井に日テレツアーに来たメンバーを言ったらポツリともらした。

「吉川さんってあの”イケメン”の?」

 そうなのだ、非常に甘いマスクで東京の女性が何人も毒牙にかけたこと間違いなしだろう(適当言ってます・・・)。しかしなぜerfはイケメンが多いのだろう?来年の発表はネタに困っているので、「erfにイケメンが多いことに関する機械と電気と制御の融合商品と次世代最有力産業との相関を基にした多変量解析的手段を用いた分析」という題目で発表させていただこうと思う。ことごとく適当な自分に嫌気が差しちょっとキーボードを打つ手が止まった。外から見ると青い芝生に見える吉川さん会社もいろいろあるらしい。そういう生々しい話が気軽にできるこのerfという会の存在は貴重である。

 そして大きな展示会に行くとドーンとあるブースの顔としてがんばっている、巨大ソリューションメーカ村川さんもちょっと遅れてやってきた。みんな興味津々の顔をしている。そのみんなの引率をするのが、この大時計オブジェを請け負った、創業105年をほこる乃村工藝の小林さんである。普通会社の寿命は30年とか50年とか言われているが、100年以上も第一線で活躍できる会社というのもすごいもんだ。乃村工藝さんのHPに行くとわかるが、手がけている物件は必ず一度は見たり入ったりしたことのあるものばかりだ。こういういわゆる「ワンオフ」の世界というものには、めちゃくちゃあこがれる私である。お客さんに喜んでもらうために仕事をしている私であるが、個人的な思いとしては、「一つ一つの手作り」というのに自分の人生を賭けてみたいとも思う。実は「宮大工」になりたかったりするのだ。だから大時計のような職人が一つ一つ丁寧に作り上げていくものを見ると、もう黄門様の印籠を見せられた悪徳代官のごとく、地面に平伏せてしてしまうのだ。これはマズローの欲求5段回説に言われる最上位の「自己実現の欲求」だと自分では思っている。

 そしていよいよ大時計の中へ潜入していくのだ。

 さて今は12月20日の午前2時20分である。初めてのメンツでの飲み会であった。強制される飲み会でなく、心からいきたいと思う飲み会であり、非常に充実した時間をすごせたのだった。だってメンバーの某さん、実は当時大流行した超有名なテクニシャンバンドのメンバーに指南した先生だということだ。それだけでものけぞりすぎてイナバウアー状態なのであるが、他のメンバーとは同級生、1stアルバムに参加を要請されたとか・・・いやはら。さすがに仕事でそんな話をするシチュエーションが無いもんね。さて楽しすぎるあまり、時間を意識しないでいたってのがあって、美緒さんが教えてくれた時間が0時5分前。横浜の先の東神奈川の横浜線最終が0時10分。あせった、非常にあせった。最悪会社のそばの東横インに泊まることも脳裏をかすめたが、ぎりぎり最終電車に間に合った。この非常に楽しかった飲み会の様子はまた別途お伝えしよう。

■■■ 動いたぞ ■■■

 なんだか今日はおちゃらけた文章を書くって元気が無くたまには引き締まった方向でいってみよう。

 この大時計

はすべて本物の銅を叩き出して作り上げたそうだ。つなぎ目もリベットで留めている。



そして銅板は表面コートをわざわざはがし、緑青が出やすいようにしているらしい。寂れた感じが出るのがいい、っていうのが分かる乃村工藝さんはわかってるなぁと思う。当初の予定より重くなりすぎた、とか、日テレビルの施工主とのやりとりとか、普段われらが接することのできる世界を超えまくって、そのすごさに「キョトン」としている私がいた。

 この大時計、その原型であるマリオン大時計(これも乃村工藝さんで、これを手がけたことでその後世界各地から仕掛け時計の受注が殺到したらしい)と同じく定時になるといろいろ仕掛けを伴った動きで演出がはじまる。まずそれを見るところから今回のツアーは始まるのだ。

 定刻になって主役の時計はいきなりランダムにぐるぐる回りだした。



 これは通常の時を刻む動力系とクラッチで切り離し、別系統のトルクフルな動力系を使っているとのことだ。おもしろそ〜 さらに時計両下にある足で持ったボールも動きながら窓がひらく。左の玉からははと時計が



右の玉からはニコニコ太陽が出てきた。



ここのふたを開けるトルクは結構大きなものだろう。実際にモータ、エアー、油圧を使い分けているとのことだ。

 他にも鍛冶屋の人形が動くわ、



ベル頭の人形が動くわ、



砲台が動くわ、



動き物で満たされる。こういう動くものは面白い。中学の技術家庭でひとつの動力(タイヤの回転)からクランクやリンクを駆使し可能な限り動く部位を作りまくった記憶がよみがえってきた。極端なことを言えば、乃村工藝さんは究極のアソビ会社とも言えるだろう。

 効果音もスピーカーから流しているとのことだ。ドラやベルの音もスピーカーから流しているらしい。本物のドラがついているので鳴らしても良いそうだが(実際少し当てているらしい)、目の前のビルがホテルで、騒音苦情があったときに備え、コントーラブルにする必要があったらしい。いろいろあるんだなぁ、と思ったね。

■■■ いざ日テレへ ■■■

 小林さんが小学校の遠足での引率先生よろしく、十分小学生の心持つおっちゃん達を引率して、日テレの通用口にいく様はちょっと異様だったかもしれない。でもみんなはそんなことは全く気にする輩じゃない。もうすぐ日テレに潜入できるわくわく感でハイな集団であった。しかし日テレ周辺ではいたることころでこんなオブジェが見られる。何なのだろう?



 ゲートで用紙に行き先を書き、1度のみ有効なパスをもらい、その場のゲートで切り取り線から半券を切ってもらいいざ潜入。



おおお、いきなり取材カーがあって、否応にも盛り上がるぜ。と横を見たら、みんなで盛り上がって写真を撮っている。みんな同じだなぁ。



 そしてエレベータに乗る場所は、マイスタの裏手だ。なんだかスタジオの裏側が見えて、天井が高くて、たくさんの衣装ハンガーがあったり「いかにも!」というところがたくさんある。こういうところをもっと探りたいが、なかなかそんなことをしている余裕もなく、引率される小学生おっさん達はあっという間に、大時計オブジェの裏手に到着してしまった。

 この大時計オブジェの内部はめちゃくちゃ狭いらしく、当初の公開方針が撤回されたようだ。なのでここに入れるっていうことはちょっとしたステータスなのであ〜る。さてやっぱり一般の方は危険ということで、ヘルメット>が用意されいる。



これがまたいかすデザインなのだ。オブジェの銅に合わせた加工がしてあった。ちなみに本物の銅ではなくあくまでフェイクだった。こういう細かいところに気を使っちゃう乃村工藝さんってステキ・・・。

 そしていざ内部に潜入だ。ホントに狭いぞ。ところどころにウレタンで頭部ぶつかりの保護がしてあったりして生々しい。それに一番いいのは、狭すぎて迷路っぽくて基地っぽいところだ。子供心をいたく刺激してくれる。男はこういうのが好きなのだ。ところどころ外に面していて、そこから外界を眺められるのだ。外にいる人たちが「あれなんだろう?なんで入っているの?」って顔をしているのだが、これがいいのだ。

 その昔2000年のF1にて、外人が何人か乗った車で、みんなマクラーレンのポロシャツ着て、スタッフゲートからワゴンで鈴鹿に乗り込んだ時のことだった。朝も早いのでゲートにはたくさんの人がドライバーや関係者がサーキット入りするのを待ち構えている。そこに我らがマクラーレンスタッフ的ないでたちで専用ゲートから入っていくのだから、好奇の目が向けられたのはもっともなことだった。あまりにも「好奇な目」過ぎたのでちょっといたずら心で、窓からちょっと手を振ってみた。そしたら「わー」って感じで手を振り替えしてくれる皆様であり、なんだか今回はそのときのことを思い出した。

 今回宮崎サイドとの折衝やら、この大時計のからくりやらいろいろ聞いたのだが、一応紳士協定ということで今回は深くは述べないことにしておこう。そして小林さんが、外から写真を撮ってくれたのがこれである。



 日テレの担当の方とも話ができた。業界人っぽくなくいたって普通の方だった。そして次回からはおまけのセッションに突入するぞ。

■■■ 魔の日テレ屋 ■■■

 さよならをした。なんとなく連帯感を得たわれら一段だったので(勝手に私がそう思っているだけです)出来ることなら飲みに来たかった。が、昼日中からのみに行くほど勇気もなく「飲み行きましょう」という言葉を飲みこんだ。

 さて久しぶりに休暇を取ったというのに、16時に打ち合わせをやりたいから会社に来るべし!との強い要請があった。強いものに弱い私は少し抵抗しただけでその要請に従うことになった。16時までどうしよう?まずは家族から要請が出ていた「日テレ屋」でキャラクターグッズに散在することにしたのだった。

 キャラクターというものは強い。特にメディアを牛耳っている放送局のキャラクター商品は非常に協力だ。我が家は毎朝の情報番組は「ズームインSuper」であり、家族は日テレにマインドコントロールされている。つまりズーミン、チャーミンのグッズを要請されていたのだった。

 日テレ屋に入って驚くのは、入口に羽鳥アナと西尾アナのマネキンが置いてあるのだ。



微妙に似ているというか、微妙に似ていないというか、なんとなくいわゆる「微妙」なのである。「写真OK」と書いていあるのでとりあえず撮影だ。店内は手前側がズーミン・チャーミンコーナーだ。羽鳥アナもこれだけ自分がキャラクター化されていたら本望だろう。福留アナや徳光アナだったらこうはいかなかっただろう。しかし安くない。財布に苦しい日テレ屋だ。要請されたものを買ってレジを離れたそのせつな、視線の隅に「1階もご利用ください」というさらに財布にやさしくない案内がなされていた。時間も十分あることだし、「まあ自分を律せれば問題ないじゃん」と、地獄への階段(ツッペリン万歳!)を降りていった。

 1階は天国のような地獄だった。散財すること間違いなしなのである。だって「ジプリグッズ売り場」だったのだから。トトロのバス停ジオラマから始まって、



こんなんとか



あんなんとか



そんなんとか



 キャラクターグッズが所狭しと並べられている。おお、欲しい、欲しいモノだらけだ。「やっぱりモノ好きなんだなぁ俺」と自分を理解した瞬間だった。そしてつい先ほど「自分を律せれば」なんていっていたことをスパッと忘れ、やっぱり散財してしまったのだった。ああ憎し日テレ屋!



 「散財しすぎて電車賃がなくなったので歩きました」なんてレポートを今回同行したメンバーのメーリングリストに送っておいたが、ジョークなのを分かってもらえたかなぁ? ということで、歩くのが何よりも好きな私は南に歩をとった。休みの日に東京を意味もなく歩くなんて機会はめったにありゃしないのだ。なので好き勝手自由な散歩を楽しんだ。

 最初は昭和通り沿いを歩いたが何か物足りない。なので、1本海側の裏道を歩くことにした。これは面白いかった。裏道には表通りに見られない、なんとなく暗い感じと一生懸命生きてますっていう複雑な空気に満ちていた。小さな会社それこと従業員数名のような会社が沢山ある。さらに路上にいるスーツの若者がなんとなく怪しい感じに満ちていた。偏見だな。しかしちょっと進むと路上で若者スーツ数名とおっちゃんが顔を数mmの感覚まで近づけてけんか寸前って場面にも出くわした。手を出さないで顔を近づけ威嚇しあうのは欧米流っぽかったなぁ。

 そんなこんなで黒い高層ビルが見えてきたのだが、そこは浜松町なのであった。



ああ、今をさかのぼること16年と3日前にこの黒いビルの上の方で羽織袴姿になったんだったなぁ、とちょっと感慨深くなった。ついこの前って感じなだけどなぁ。

 浜松町もあっさり通り過ぎ、さらに裏道を進む。

■■■ 裏道を歩こう ■■■

 浜松町を過ぎまた裏道に戻るのだが、微妙に裏道が切れて表通りに強制連行されてしまう。出たところは日比谷通りと第1京浜が合流するポイントだった。そしたら目の前に「松下電工」さんがあった。しかし強い、強すぎる松下グループ。一等地の不動産どれだけあるんじゃ?って。不動産への投資も良いけど、社員さんにどんどん還元して、電機業界や技術者って儲かるのよねぇ〜って、もっとこの業界に優秀な人材が集まるようにしないといけない、と、思うのだ。

 さらに裏道は続く。そして裏道の隙間から見えたのが巨大ビルであって、てっぺんに「NEC」とあった。PaPeRoも高層ビルで夜景を見ながら開発されていたのね。うちなんか最上階で10階ですよ・・・それもついこないだできたばっかで・・・、と愚痴を言ってもしょうがない。


 そこからは裏道がなくなっている。第1京浜沿いを歩かなくてはないのだった。しかしここも歩けば歩いたなりに楽しいものだ。10数名のデザイン会社の前に車を止めて、お姉さんが荷物を運んでいる。なんだか会社一丸になって働いている様がほほえましい。こういう会社で暮らすのもいいものだな、と思った。

 田町駅を過ぎ、大通りに面した一等地にはこんな施設がある。


 こういうところに天下り役人がたんまりいるのだろう。前に「青山TEPIA」って言うところに出展したときも思ったが、あれほどな無駄な施設は無いね。一等地だよ一等地。何とかなんないものか?

 学生時代にいくつかアルバイトをしたが、結構長く続いたのが「肉の配達」だった。ただの肉屋ではなく、結構由緒正しい肉屋だった。宮内庁ご用達、各プリンスホテルなど、普通じゃ入れないようなところにいろいろ行った。箱根プリンスや大磯プリンス、三笠ホテルなどはドライブだったなぁ。その肉屋も肉自体は湾岸の冷凍倉庫から引き出してくるのだ。そのときによく通ったのが「札の辻」だ。東京タワーも良く見える。


 札の辻を過ぎると第一京浜沿いに駐車場があり、そこから品川北の電車大通りが見渡せる。別に私は鉄ちゃんではないが壮観な線路であった。


 そして品川に着いた。このまま蒲田あたりまで歩きたかったがタイムアップで電車に乗ることにした。品川駅前には結婚式当日に泊まったホテルパシフィックがまだ建っている。駅中でシャッターを切ったら、8GBのメモリカードが満杯になった。あれ?と思ったら、11月に行った富士スピードウェーの画像を消去してなかった。そしてさらに驚くべき事実として、RAWでなくJPEGで撮影していた。あ〜〜、ニコンカメラはその真価はRAWで発揮されるのであるのだ。恐るべき大失敗だった。

 歩くと体がめちゃくちゃ暖まる、というか、暑いくらいなる。それだけ健康に良いということだ。なので京浜東北で座ったときに暑すぎて気持ち悪いくらいだった。しかし下車するころは「ぬくぬく」と気持ちよすぎて、このまま大船と大宮を3往復くらいしたかった。




■■■ 07年12月24日 再び日テレ ■■■

■■■ 東京探索 ■■■

「もう5時半よ」とかみさんに起こされた。

 目標は5時10分起床であり、6時10分の電車に乗るためには余裕をもってこの時間に起きることを計画していた。携帯のアラーム設定をしていたのだが、なぜ鳴らないのだろう?まだ保証期間内なのに・・・という疑問は、携帯を開いた瞬間に判明した。「今日って月曜じゃん」。そうなのだ、祝日なのだ。携帯のアラームは土日モードに設定していた。

 バタバタしながらも5時50分に何とか家を出ることができた。しかし外はまだ真っ暗だ。時間短縮のために駅までチャリとしたのだが、冬のチャリは寒い、寒すぎる。しかし後ろを振り向くと「ニコニコ」した娘の顔があり、ハートは暖かくなるのだ。長男は中学になると親と行動する時間がめっぽう減った。残るは小学生の娘である。やっぱり子供は3歳くらいから小学校卒業までが、親として一番いい時期なのだろう。だからあと数年で終わってしまうだろうこの時間は大事にしなければならないのだ。

 ということで、娘の大好きな日テレへ再びゴーなのだ。

 祝日の朝6時10分の電車は楽勝で座れた。矢部駅では真っ暗であるが、娘曰く「UFO星(多分金星)」と「まん丸の満月」が暗さの中で輝いていた。そして横浜線の途中では空が藍色と紫色の絶妙なグラデーションを見せてくれ、こういう光景が早起きすれば毎日見れるものだということを悟り、「早起きは三文の得」という言葉を思い浮かべた。そして東神奈川に到着する頃には、座席がほっかほっか状態で、降りるのが忍びないのであった。乗り移った京浜東北では椅子が冷え切っており、娘と二人文句をたれまくった。

 新橋到着は7時20分、休日にも仕事をする方々に混じって新橋駅を歩く父娘は少し場違いに見えたことだろう。その娘は改札を出るともうルンルンが抑えきれない。饒舌になり早足になり面白すぎた。そしてあっという間に日テレに到着、マイスタ前には結構な人数が集まっていた。その数ざっと50人。ズームイン放送中はマイスタ前(大時計下)は進入禁止エリアだった。

 さてマイスタに着くなり左側のエリアにいかにも目立つ真っ白な服を着た女性と、柵越しに10数人の男性が取り囲んでいる様子が視線に入った。


 サーキットで培ったレースクイーン撮影の「感」はこういうときに生きてくるのだ。早速出向いて見ると、そこにはズームインの女3人衆(西尾アナ、お天気お姉さん凛ちゃん、ちょっとハーフっぽいレイラちゃん)の中の「凛」ちゃんがいた。凛ちゃんを取り囲む男たちは、サーキットでレースクイーンを追いかける兄ちゃん達と寸分狂わぬ行動をとっていた。相手をする凛ちゃんもいやな顔もせずどうでもいい話に相槌を打たなければならず、芸能人とは大変な商売だなぁ、と思わずにはいられなかった。その凛ちゃんひたすら左利きでサインをしまくっていた。ADさんが「もう時間なので・・・」といってから5分は書き続けていただろう。えらい。


 わが娘は高い柵に阻まれていたのだが、お父さんが渾身の力を絞って持ち上げてあげた。よく見えただろう。そのときは凛ちゃん、娘の隣のいかにも「オタク」なお兄さん?おじさん?にサインをしていた。私はそこで娘の重さに力尽きた。しかしそれを見ていたどこかの方が娘を持ち上げ、凛ちゃんにいろいろを話を振ってくれた。いいお兄さんだったぞ。そして娘は大喜びなのだが、照れ全開であまり話せないのだ。まったくいつもの勢いはどうなった?そして1分ほど娘と会話をしてくれた凛ちゃんは娘の心でいい思い出になったようだ。その後の会話で将来はお天気お姉さんになりたい!と言ってたからね。GTに行ったときドライバーになるって言ってたのはどこの誰だ?




■■■ 準備進行 ■■■

 凛ちゃんフィーバーが終わったとき、やっぱりマイスタ前右手の方が良く見えるポイントのように思えた(のは人が多かったからだけかも知れない)。そしてしばらくするとスタッフがお立ち台のような台をセットしたり、モニタが出てきたり、三脚が出てきたり、なんだか雰囲気が高まってくる。そんなとき後ろのほうからこんな会話が聞こえてきた。


「なんかさ、あっち(左側)でディレクターが子供呼んでるよ」

 なんとなくストーリーが読めるのだが、今このいいポジションを捨ててまでそっちに行っていいものか迷った。すごく迷った。しかしこのチャンスは捨てがたい。人生は「決断」の結果出来上がっている。そして「即断即決」した。娘に声をかけ、小走りで左側に回りこんだ。そしたらADさんが子供にフリップを配っていた。子供もそう多くないのでたやすくフリップをゲットできたのだった。


 そこに名前を住んでいるところと年を書いて下さい、といわれ、「ねえ、漢字とひらがなどっちで書いたらいい?」というどうでもいい問いに対して、ひらがなで書けばといったお父さんは、恨まれた。みんな漢字で書いていたからだ。フリップを渡すと同時にADさんは「お子さんだけ中に入ってくださぁ〜い」と子供だけが中に導かれていく。ああ、鈴鹿で言えばグランドスタンドの大観衆の前を通って、パドック入りできる通路を歩いている気持ちだろう。うらやましい。


 さて子供達はまだ時間の余裕もあるらしく手持ち無沙汰っぽい。


 しかしズーミン・チャーミンの着ぐるみが出てきて(ちなみにこの日はズーミンがトナカイで、チャーミンがサンタの衣装だった)、


照明がつけられると外は一気に華やかになってきたのだった。そして刻一刻と時間は7時58分に近づいていく。


 ディレクターだかプロデューサーだかが(所さんかと思った)も出てきた。


お天気おじさん(平井さん)も出てきて子供達となにやら話をしている。当然写真を撮りまくりである。仕切りの柵には人が大挙しているが、こういうところでいいポジションをゲットできるのも、サーキットでの訓練の賜物だろう。


 そして大物達が出てきた瞬間、目の前の警備員が叫んだ。

「本番中は写真、ビデオカメラは禁止です!

げげげげげ・・・・




■■■ 全国放送生出演 ■■■

 「本番中は写真、ビデオカメラは禁止です!」

 強烈だ、強烈過ぎる威厳をもっている。お茶らけた政治家もこのくらい威厳を持ってほしいものだ。その威厳の前でたたずむ私はグーな写真を撮り逃した。しかし、事情を良く分かっているのか、それともそれが定番なのか、ADさんがこう言った。

「本番終わりましたらお子さんの保護者の方は記念写真撮る時間とりますから・・・」と。

分かっていらっしゃいますね。そしてすぐに本番終了。「保護者さんだけ入ってください」との声に導かれるように最前列に膝をついて(写真は下から撮るのが心情である)撮りまくった。1分くらい撮影タイムであったが十分だ。撮れるときにまず撮っておく、構図を決めたりしておくと終わっちゃう可能性がある。これがサーキットで学んだ撮影法だ。

□本番終了直後・フルキャストだ!

□羽鳥アナと西尾アナ、平井さんが残ってみんなと一緒に記念撮影

□そして羽鳥アナが目線をくれたぞ!


 解散になると出口で子供にお土産を配っていた。ズーミンチャーミン付のボールペン、同じくズーミンチャーミン付ストラップが入った卵である。どちらも「非売品」と書いてあるのがマニアの心をくすぐるね。



 でもこれと同じようなものをを日テレ屋で買ったら、あわせて1500円はするだろう。キャラクターグッズはいい商売なのだ。出口では人がわんさかで別のスタッフが「お土産もらった?」と娘に聞いていた。おお、なんと答えるか?お父さんならもう1セットもらっちゃうぞ・・・と。でも純な子供は「もらいました」とあっさり答えた。

 さてプロフィールを書いた日テレのフリップは娘の宝物になった。また後々娘が言っていた。羽鳥アナと握手をしたのだが、異様に手が大きかったらしい。西尾アナは手を振ってくれたし、解説の五郎さんも手を振ってくれたそうだ(実は辛坊さんの方に会いたかったらしいが)。




■■■ おのぼりさん ■■■

 娘は東京タワーに行ったことがない。実際私も東京タワーに始めていったのは大学の時だった。新橋の駅から碁盤の目のようになっている通りを左斜め前という感を頼りに東京タワーを目指す。朝8時はまだ陽が低く寒いが、ルンルンが寒さも忘れさせるようだ。途中のコンビニで朝食をゲットし、途中の公園で食べる。しかしコンビニのおにぎりは何でこんなにうまいのだろう?

 そうこうしていると、目の前に巨大な東京タワーが現れた。時間は9時前ですでに開場しているようだ。前日の雨から一転快晴になったこの日は、まさに東京タワー日和である。



 エレベータは1分で展望台に着いた。あれ?外人ばっかじゃん。そうだ、東京タワーは一応東京のタワーなのだ。トロントに行ったときもトロントタワー、ベルリンに行ったときもテレビ塔に上ったが、やはりご当地のタワーははずせないのだな。そして時間がたつにつれ、窓を占有できないほど混んできた。

□見よこの快晴。新橋/汐留方面は真っ青だ!




□逆光でかすんで見えるのは、レインボーブリッジとそこに続くフジテレビ社屋である




□新宿副都心は隙間に見えるのだ




□富士山もばっちり見えちゃうぞ



□遠くにかすんで見えるのは、なんと横浜なのだ




□隙間に国会議事堂を発見、コレを見て行く気になったのだ




□六本木ヒルズがドカン!と建った





 帰るときは一つ階下に行くように指示される。そして下に行ったら、「なんだ下にもフロアがあったのね、ガラガラじゃん」ってくらい空いていた。階下があるなんて分からないぞ。そしてそこで目にしたのは「階段でチャレンジできます」っていうコピーだった。おお、めったに東京タワーの階段なんて歩けないじゃん、と、強風がヒューヒュー吹く階段を駆け下りた。面白かったぞ。




 そして次なる場所は、なんとまたまた日テレなのであった。娘は日テレグッズを買うことを今回のツアーの目的としていたのだった。日テレ-東京タワーが往復で6kmくらいなので、ちょうどいい散歩である。そして11時に日テレに到着。例の宮崎大時計を見るべく向かったが動かない。ああ、11時は動かないのね。残念。じゃ、日テレ屋に行きましょう。

 しかし日テレ屋の前は人が列をなしている。おいおい、たかだかショップに入るのにこの行列か?と嘆いていたら「お父さん、行列の先はあの”汐留ラーメン”だよ。」とナイスなフォローだった。そして娘は日テレ屋入り口のの羽鳥/西尾アナ人形で記念撮影だ。ズーミン/チャーミンの大きなぬいぐるみが横に置いてあり「一緒に撮影してね」みたいなことが書いてあるのだ。当然娘はズーミンを抱き1枚、そして両方を抱き1枚写真を撮った。最近はあまり写真を撮らせてくれなくなったってのもあって、久々のポートレート?だった。

 娘は友達に買っていくお土産を物色している。しかしどれも結構高価なものであって、財布とだいぶ相談したようだ。でも3人に皆違うお土産を買っていたが、どういう基準で選らんだのだろう? そして階下の宮崎ジプリ系では、大好きな「千と千尋の神隠し」トランプをゲットしてホクホク顔だった。

 そして大時計の定時実演を見て、日比谷公園を抜け、警視庁前を抜け、国会議事堂で記念撮影をして、戻りがてら桜田門を通り二重橋まで足を伸ばす。もう全くおのぼりさんコースであった。で、帰りがけに寄ったビックカメラ有楽町店でシルバニアのセットを買ってもらった娘はホクホク顔であった。