■■■1979年9月24日 ■■■


■■■ その1 ■■■

 それははるかかなた30年前の今日9月24日月曜日の出来事である。

 時は昭和54年、西暦で言えば1979年、楽しい高校生活を送っていた私は音楽関係のクラブ活動(実際は同好会なのだが・・・)を謳歌していたのだった。そこには中学では見られなかった音楽性に富み激テクを持つ先輩連中がいて、次元の違う世界にめまいを覚えるくらい感化された。さらに女性部員が男性部員の3倍もいるといった、今から思えばハーレムのような場所でもあった(当時はそんな意識なかったけど・・・)。

 そんな高校1年の1学期、中学から付き合っていた彼女とも分かれて心機一転高校生活を楽しんでいた。そんな時気になったのが、二つ上のY先輩であった。石野真子似のその先輩をかわいく思いながらも、やっぱり高校時代の二つ上の先輩は圧倒的な「大人」であり、ただ単なる先輩後輩の関係であった。当時我がクラスは北棟の1階に位置しており、私の席はの窓際であった。ここから南棟がよく見えるのであって、そこの南棟3階廊下からY先輩がこっちを見てたりすることもあって、目が合ったりすると手を振ってくれたりして、結構うれしかったのを覚えている。

 そんなこんなで非常に楽しかった1学期には、我が家の息子にその名前をいただいた、早稲田主席卒業の教育実習生が来たりで、こやつがまたいいキャラで非常に楽しく過ごした。ちなみにこの教育実習生は今電通で要職についているのであった。それに夏休みは仲の良いクラスメート10数名で長野にキャンプに行ったりで、今に思えば人生で一番楽しいときであった。

 そして非常に楽しかった夏休みを終え9月の新学期を迎えた。今から考えると9月の半ばに学校でもようされた「天体観測会」なるイベントが、一つのトリガになったような気がする。その日は夜7時からの観測会があったため、近くのロッテリアで100円ロッテシェーキで時間をつぶした。そこにYちゃんとTちゃんが参加したのだった。Tちゃんは2年生で1年先輩のブリブリ系かわい子ちゃんでやはり3年のS先輩と付き合っていたのである。ちなみにTちゃんとは今でも付き合いがあり、そのかわいさとは裏腹に激動の人生を歩んだしっかりモノである。高校時代の超丸文字から達筆に変身して、今はかわいい娘さんといい人生を送っている。

 さてその天体観測会、Y先輩と一緒に校舎の屋上から星を見ながらいろいろな話をした。私が超クイーンフリークであるのはすでに知られているところであり、「Love of my life」の歌詞を和訳しながら(この歌詞は簡単に訳せるのである)、説明したりもしてた。今思えば「はずかし〜」って感じである。で、ご想像のとおり天体観測なんてまったくしていなかった。夜の校舎屋上で非常に楽しい時間を過ごしただけだった。

 9月の22〜23日は文化祭であった。文化祭は実行委員を仰せつかったりして、これまた楽しかった。翌2年生では、結局実行委員長となり文化祭運営のすべてを仕切ったのは、大変だけどやりがいがあって非常に楽しかった。この時に1年下でいい仕事をしてくれた後輩が、後日都議員になったM君である。議会での質問回数が1番であるそうだ。

 文化祭の翌日月曜日、我ら部のメンバーと江ノ島・鎌倉に遊びに行こうということになっていた。しかし朝からどんよりした空模様であり、なんだかなぁ?と思いながら、朝早くからアマチュア無線で知り合いと(獣医さん)だらだらと話をしていた。そして電話がかかってきた。

 「あ〜佐藤君? 今日さぁ、雨降りそうじゃん。だからキャンセルねっ」

 ということで、予定が突然キャンセルになり、まあいいっか、と無線で獣医さんをさらに深く交信していた。中学から高校にかけては、ギターと無線に明け暮れる毎日であったのだ。それからかれこれ10分くらいたっただろうか?まだ電話が鳴った。なんだろう?

「もしもし、佐藤君?」

声の主はY先輩であった。




■■■ その2 ■■■

 「もしもし 佐藤君?」

 Y先輩からの電話に、動揺とうれしさとそれから何を言われるのか?というちょっとした期待感が交錯した、複雑な数秒の後・・・

「今日やっぱり行かない?」

 と、30年前のことであり、正確に何を言われたか覚えてないが、とりあえず中止になった鎌倉GOを二人でリトライしようという、アニメで言えば、ロケットで飛んでいってしまうシーンのような申し出があったのだった。そんな提案を断るわけはなく、エサを前にした犬のごとく即「イエス」と言ったのは、当然の決断であったのだ。そしてセナがマクラーレンを走らせるよりも早く着替えて、町田駅に向かった。

 町田駅で待ち合わせどんな話をしながら藤沢駅まで行ったかは、まったく覚えていないのである。藤沢駅なんて始めてだったりもして、どうやって江ノ電に乗ったかもさっぱり覚えてないし、どこで降りようとしたか?なんてもっと覚えてないが、Y先輩がリードしてくれたことは間違いなさそうである。

 そして降りたのは「七里ガ浜」であった。なぜ七里ガ浜なのか? それは彼女にある計画があったからである。その計画は後で分かるのだが、このときはそんなことを知る由もなかった。どうするべきか分からない私は、Y先輩と浜辺を歩くことにした。しかし何気に手をつないだのは、大きな進歩である。女の子を手をつなぐなど、初めての経験であり結構それだけで舞い上がってしまった。まだまだかわいい私なのであった。

 そして程よく歩いた頃に「稲村ガ崎」に到着する。一応展望広場まで軽く登るが、別段何があったわけではない。しかしこの稲村ガ崎はなぜか頭に残っているので、もしかしたら何かあったのかもしれない。その後、サイクリングや娘との散歩で稲村ガ崎に登るたび、この日のことを思い出してしまうのである。

 稲村ガ崎を過ぎると鎌倉エリアだ。そしてそれは由比ガ浜の端っこで起こったのだった(変な期待をしないように、多分読者様の想像とは違う話になります)。由比ガ浜の浜辺を歩く頃にはいつ雨が降ってもおかしくないような空模様だった。そしてここを逃すと人が増えてしまいそう、っていうのもあったのだろう。彼女がこうつぶやいた。

「わたしね、失恋したの。E君っていうんだけどね、ふられちゃったの。だから今日は彼の写真を捨てるの。」

 おお、そういうことだったのか。でもなんとリアクションをしたらいいのだろう? と、思案にくれる私を尻目に、Y先輩はおもむろにEさんの写真を取り出して海に投げたのだった。しかしそこは文系の高3女子、まだ物理法則には甘いところがあり、投げた写真がことごとく戻ってきてしまうのに手を焼いていた。そこで大胆な行動に出たY先輩、おもむろに砂を掘りそこに写真を埋めたのだった。お〜やるな! なんて関心していたら、彼女の頬にチラッと涙が見えた。

 言葉をかけることもなく、黙って一部始終を見ていた私は、その後も声を発することが出来ずに唯一出た言葉は、「いこっか」であった。全く気の利いた言葉の言えない高1の少年であった。その後言葉を交わすこともなく、しかし手をつなぐ力がいっそう強くなりながら由比ガ浜を歩いた。う〜ん、天国のようだった。まったくもって絵になるような若い二人は、滑川の交差点までたどり着き、さらに鎌倉駅の方へ向かい、駅から江ノ電で藤沢に戻った。夕方のそのころはもう普通に話が出来るようになっていた。そして江ノ島の駅売店で二人だけのお土産を買った。おおおおぉ〜、こういう展開、書いていて恥ずかしいぞ。ちなみにそのときに買った、小指の先くらいの砂の入った極小ガラス瓶、多分家のどこかに眠っていることだろう。

 町田駅に戻った頃はもう雨になっていた。駅から1kmくらいの彼女の家まで送っていき、彼女は私が乗るバス停で一緒にバスを待っていてくれた。我が家方面行きのバスは本数が少ない。そして待っているバス停は駅の近くであり、どこ行きのバスも通るのである。何台ものバスが通り過ぎ、やっとバスが来たのであるが、ずーっとバスが来ないで欲しいっていうのが偽らざる心境であった。

 だが人生、このまま終わらないのが面白いところである・・・




■■■ その3 ■■■

 「佐藤君、放課後に屋上に来てくれる?」

 問題は翌日に起こった。前出の1級上のTちゃんから呼び出しがかかった。当時屋上は出入り自由の憩いの場所であった。何かあると屋上で話をするって言うのが定番であり、いかにも高校生的なさまざまな話がこの屋上でなされたのだろう。その歴史の一つにTちゃんとの話が高順位でランクインされるのは間違いないことと思う。

「佐藤君さぁ、昨日どこか行った?」
「ん?なんで?行くことは行ったけど・・・」
「あのさぁ、ちょっと言いにくいんだけどさぁ、昨日バスから見ちゃったのよ」
「えっ?なに見たの?」
「えっ、言っていいのかなぁ?あのさぁ、○○のバス停でY先輩といたでしょ」
「うぐぐぐぐ・・・」
「ねえ、最近仲よさそうだったじゃない。付き合ってるの?」
「うぐぐぐぐぐぐぐぐ・・・」
「やっぱ付き合ってるのね。きゃぁ〜。SK先輩(Tちゃんが付き合っている3年生)だけには言うけど、後は黙っているからね。」
「うぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ・・・」

 人はいろいろなところで見られてるのである。さらにこうやって周りが固めてくれるということもあるのである。そして晴れてカップル(今はアベックって言葉使わないの?)になった我ら(というは私は)人生で一番いい秋を満喫した。

 その後Tちゃんカップル、Tちゃんの彼氏のSK先輩とコンビを組んでいるZZM先輩らと他の学校の文化祭とか行ったりもしたが、Y先輩と途中からエスケイプしたりすると、事情を知らないZZM先輩とかから「あれ?佐藤とYは?」と言われたり、まあ楽しい時期を過ごしたりしたのであった。

 ちなみに文中に同乗した「E氏」は私が入社以来ずーっと一緒に仕事をしていたTさんの大学のクラスメートになっていた。ZZM氏はこれまた会社で同じグループにいたI氏と大学のクラスメートになっていたということが後日判明した。世の中全く狭いものである。

 という、高校時代に思い出であった。その後Y先輩とどうなったのか?リクエストがあればまた書いてみよう・・・

 しかしだ、今でもあの頃のことは昨日の事のように思い出せるのである。小学校6年の時に「今日は終戦から30年たった・・・」とかって言う放送を聞いたが、戦争が終わってから30年で小学校6年、高校のあの淡い日からすでに30年、同じ30年だが感じる長さは全く違うのだね。30年なんてあっという間なのである。