■■■ 父娘関西珍道中 ■■■


■■■ その1 ■■■

 世間のトレンドに乗りたくてしょうがない我が社は「ワークライフバランス」なんていう制度ができた。1年内に5連休(じゃなくてもいいのだが連休として)を取得するべし、という制度である。仕事大好きで取っていない人な人もいるようであるが、私は取る。でもやっぱり取りにくくて年度末ギリギリでタイミングになって駆け込みしてしまうのは毎年の恒例である。まあうちのメンバーもみんな3月駆け込み取得であるが・・・

 さて家庭の事情などで前半はダメだったが、木〜土曜の3日間は春休みでバイトの隙間がある娘と関西に旅することにしていた。リアルに親子であるがオッサンとJD(女子大生)の旅行はどう見ても「援交旅行」にしか見えないだろう。ホテルのチェックインとか嫌だし、夜飲みに行くのも嫌だった。同期の友人からは「俺の友達がそれをやって警察に何度もとめられた!」と聞くし・・・

 しかし多摩動物園でまったりした火曜日の夜に「明日夜の予定がキャンセルになったよ」と聞かされ、翌日行こうとしていた上野動物園をスパッとやめ、急遽楽天トラベルに向いあったら、神戸ポートアイランドホテルがぎりぎりとれた。やっぱり前日になるとキャンセル穴埋めのためにちょっと安くするみたいでラッキーだった。なので、夜の21時から3泊4日の旅行の準備を急遽はじめ、クルマだから何でも必要だと思ったら持っていけ!と号令をかけ、でもそれは実は自分に言っているのでは?と思うほどの撮影機材を詰め込んでいる自分がいた。だって、伊丹空港千里川土手も計画に入っているんだもんね。

 実はニコンD500を直前に買っており、その超高感度といわれているのを伊丹空港撮影に使ってみたい気持ちがメラメラと燃えていた。なので三脚はもちろんのこと、70-200や200-500も出陣である。さらに奈良京都の寺社仏閣ように広角ズームや出張中の10-20の代わりに久々に出陣する10-17フィッシュアイなど、カメラバッグが重くて持てないほどになった。しかしD500はほとんど触っていない状態で、自分なりの設定もシャッターも切っていない状態なのである。ぶっつけ本番とはこのことだ。

 さてオッサンになっても心は子供のままなのは何度も書いているし、私を知っている人は良くご存じのとおり。旅行の前は寝付けないのである。2時に起きて3時出発予定なので早く寝なければいけないのであるが、荷造りに時間がかかって寝たのは23:30。でも結局寝付いたのは1時過ぎで、1時間くらいしか寝ていない。でも旅行前のアドレナリン全開で眠くないのである。

 そして3時ちょうどに出発! さてどんな旅になるのやら・・・





■■■ その2 ■■■

 いつでも早朝ドライブは気持ちいい。なんてったって車が少ないし信号で止まることも少ない。つまり快適ってのが理由だが、実はそれ以上に「こころ」が盛り上がっていることがその理由であるだろう。ガソリンを満タンにし相模原愛川から圏央道に乗って真っ暗な東名をひたすら西に向かう。夜が明けてくると娘に運転をバトンタッチし、初高速道路教習となった。

 さてそんなこんなで最初の目的地である「滋賀 豊郷小学校跡地」に8:30前につく予定で、早く着くなら「少し手前の米原駅で新幹線写真撮影も・・・」と考えていた。しかし適当に思っていたことはやっぱり適当・・・ということがすぐに判明し、時間の余裕などないことが白日の下にさらされた。

 彦根インターを降りて豊郷小学校跡までは10k弱とナビに出ていた。しかしこの旅行でこのビルトインナビとグーグルナビとの壮絶な戦いが始まろうとはこの時は夢にも思わなかった。さてビルトインナビは国道に誘導する。確かにそれがいいと思えた。しかしこれも今回の関西旅行で知った事実であるが、

●関西の信号は長い

のである。なので一度赤で止まるとひたすら待つことになる。逆に関西の道路は比較的つながりが良い。なので走っていてテンポが良い。これを彦根ICを降りてまず体感した。また朝の8時台は車も混んでいる。渋滞が何よりも嫌いな私を娘は良く知っており、「こっち行こうよ」と私を裏道に誘導した。実はこれが大正解であった。裏道はいわば彦根城下の旧道であるっぽい。狭い生活道路然としているが、信号もなく味のある街並みを見ながらチョー快適なドライブとなった。うちの両親も東北の城下町出身であるが、城下町の街並みは概して「いい」。彦根でそれを感じられたのは良かった。

 実はこのときグーグルナビはこの旧道をお勧めしてくれていた。最初からグーグルに従っていればもっと早く、もっと快適に走れたのに、とういのは後のフェスティバルである。

 さて「豊郷小学校」と読んでピント来た輩は相当な「通」である。快適な旧道ドライブだったが途中から後ろにBMWがついてきた。それも八王子ナンバー。車のダッシュボードにはアニメのぬいぐるみが置いてある。乗っているのは50代のオッサン一人。怪しい、すこぶる怪しい。でも怪しいといえば、ひげづら50代オッサンと10代JDの組み合わせの方がよっぽど怪しいかもしれない。で、この後ろの車は同じ目的地に向かっていると確信した。そこは

●「けいおん」の聖地




 いまどきのアニメは無から景観を生み出すのではなく、実在する環境をそのまま「絵」にしているっぽい。けいおんの舞台となった高校は、この豊郷小学校跡なのである。けいおんの中でも古い校舎感が出ていたが、実物も「すごく」古い校舎なのであった。そりゃ「跡地」だからそうだろうが、相当古い。床の板張り、階段の板のすり減り方、ドアノブやカメやウサギの金属オブジェのこすられ具合など、もう涙もんだ。実は私の母校(高校)にもとても古い校舎があった。3棟あるうちの真ん中の棟が全木造で、まさにこんな感じだった。部活はそのおんぼろ木造の一室が活動場所であって、まさにけいおんと同じ。







ちょっと涙がほろりと出た。





■■■ その3 ■■■

 けいおんの部室は3階にある。何100万回も踏まれただろう木造階段はもうエッジが丸まっている。そこを上っていくのだが、階段の手すりにもけいおんでお馴染みのうさぎやらカメやらがいる。

 廊下が延々と長く続き、


 外を見るとアニメの絵のまま、


そして部屋に入るとまさにけいおんの部室であって、放課後ティータイムであり、


 知っている人ぞ知るフレーズがそこらじゅうにあったりして、


 細かい機材もそのまんまだし、


 最後の教室内ライブもまさにそのまま、



 なんだか不思議な世界に入った感じだった。

 この豊郷小学校跡は実はがらんどうで、ただの「けいおん聖地」と言うわけではない。地元の総合センターのようになっている。教室であった各部屋はシニア部とか○○室とか、地域に根差した活動拠点のようになっている。体育館やホールでは実際に幼稚園のイベントが行われていたりしている。なかなかいいぞ、豊郷街!

 そして車に戻ると、春うららなやわらかい午前の空気で心はもう癒されっぱなしである。ワークライフバランス休暇万歳!

 さて第2の目的地は京都である。女子は誰もが京都好きである法則は確かに当たっており、娘は京都を楽しみにしている。そして2時間程度で京都の街に入った。京都でどこを見よう?とクルマの中で考える。このその場で決める感がいい。私はもともとしっかり計画を立てていくたちであるが、この行き当たりばったり感は自分にないものと言う意味でちょっと魅力的だ。車中の会話で、娘は今回の関西行きにあたって「御朱印」集めを楽しみにしていることを知った。正月に巫女のバイトを始めてから、その手の寺社仏閣に興味がある模様。私は御朱印などなんだか知らなかったが、ひそかなブームになっていることを後から知った。

 そしてこの御朱印集めを始めるにあたってまずすることは「御朱印帳」を買うことなのだ。ポップなものかわいいものシックなもの渋いもの、いろいろある。今日の京都は三十三間堂と二条城と北野天満宮にしていたので、車中からネットで調べてみると、北野天満宮の御朱印帳が木製で渋いらしい。まだJDがこんなに渋いもの選ぶかい?というくらい渋い御朱印帳をチョイスしたため、距離的には遠い北野天満宮をまず最初のターゲットとすることにした。本当は清水寺も行きたかったのであるが(道沿いだし)いまは改修中らしくちょっと面白みに欠けるのでパスした。

 アップダウンを繰り返し京都の街に入ると、斜めと言う概念がないがごとく碁盤の目の道路になる。そして京都の北西の方角にある北野天満宮に到着するとなんと駐車場は無料であった。娘は早速御朱印を買って何やら書いてもらっている。御朱印記載はどこも300円、しかしこの後、実はお父さんも御朱印を集めたくなるほどの素晴らしい筆さばきを何度も見ることになった。







 続いて二条城。中学のときに行って以来だからかれこれ○○年である。京都奈良なんて学生の時に行ってもあまり感動もなにもあったもんじゃないが、大人になって分別がついてから行くと、その背景や本物の持つ重厚なオーラだとかを感じないわけにはいかない。しかし二条城は寺社仏閣ではないので、スピリチャルな感じはしない。あくまでちょっと前の江戸時代なので、仏像関連の本当にそういう人がいたのか、そういう事実があったのか?と疑がわずに、事実としてあったことを感じられるのである。天井の派手な模様とか、こんな無駄に広い部屋は?とか、今までであれば読むこともなかった説明書きを丁寧に読むのが結構楽しかったりもする。




 二条城の駐車場は1,000円である。とてもきれいな駐車場であるが、平日だからかそれとも京都を車で回るということがイレギュラーなことなのか、ガラガラである。ここで京都の昼食といきたいところなのだが、二条城周辺を歩いても食事処がない。これ以上無駄な時間を費やせないのでこの旅行の最初の食事がコンビニになってしまった。それでも二条城のお堀のベンチで食べるアイスや菓子パンやおにぎりは案外おいしいのであった。

さて次なる目的地は?




■■■ その4 ■■■

 次なる目的地は三十三間堂だ。実はここも駐車場が無料でありかつそれほど混んでもいない。京都の駐車場事情は少なくとも平日は最高である、と言いたい。

 御存じのとおり三十三間堂には約1000体の仏様が並んでいるのだが、実際この景観は圧倒される。数で圧倒するのは我が家のギター在庫と同じだなぁ、とわけわかんない思考につなげる自分がおかしい。そしてこの仏像群は全部違う顔をしているということだが、確かに一か所から見える範囲での顔は違うのは分かる。でも当時金型なんてない時代だからどうやっても同じものは作れないだろう。さて御堂に入ったところでは、じーっと仏像を見ていられるのだが、さすがにほとんど同じ仏像なので、すぐに移動スピードが速くなるのほあしょうがないね。

 御堂の真ん中でお坊さんに御朱印を書いてもらった。まあなんといい字である。こういう字を書けたらなぁ、と思う。思えばやってみる、それがモットーである(けど、まだトライしていない・・・)。




 実はお寺の開場は16時までなのであった。仏像を見終わりその長い社殿庭園を一周し駐車場に戻ったら、残っていた車は我愛車を含め2台だった。ギリギリセーフ。







 さて初日の最後の目的地に移動するべく道を探すが、どうも関西の道に勘所が働かない。ここはもうナビのお世話になるしかない。と言うことで三十三間堂から少し南下したところから高速に乗ったが、やはり行き先の勘所が働かないので緊張しきりである。しかし幸い高速は混んでもいなく、分岐など余裕を持てて1時間弱で次なる目的地

●「伊丹空港」

に到着した。2年前に訪れて周辺を探索しまくり、かつ南千里まで徒歩したつわもの(=俺)としては周囲の景色が懐かしくてしょうがない。当然娘には「俺ココよく知ってるツーだぜ」のごとくふるまった。まあこういうのがいけないのであるが、どうも自慢したくなっちゃうんだよねぇ。昼の2度の伊丹では2度とも車で来ているジモティーの方と友達になった。その友達が「あそこに停めておけば問題ないですよ」という、千里川土手横に行ったのだが、およよよ・・・路駐対策が施されているではないか?どこかに停めて置けるところがないか?と探しても路駐スペースはない。オーマイゴーと、「ツー」が一転して「あせるオッサン」に成り下がった。この天国から地獄感が自分の中でたまらなく情けなかった。しかし運よく近くにコインパーキングができていた。2年前にはなかったぞ、こんなの。24時間停めて600円、おーリーズナブルじゃないか。実は後から調べたが、伊丹に飛行機を見に来る人の「今の」定番駐車場の一つになっていたのであった。

 さて有名な千里川土手に娘を連れて行った。ときはまだ17時。太陽はまだ沈んでいない。飛行機もなかなか飛んでこない。お父さんの過剰なまでに演出した「すごさ」はどこなのよ?という空気が流れた。そんな時、南にかすかな光を発見。これは来るぞ! そして数分後にやってきた787に娘は大感激。御多分に漏れずインスタなどやっている彼女は即座に動画をアップして(インスタって静止画だけじゃなかったんだ・・・)、友人から喝さいを浴びていた模様。その友人が男か女かは聞く勇気がないのはどこのお父さんんも同じだろう。




 今回の伊丹は午後が何となく霞んでいるような気がしたのと、娘が横にいたのとで、あまり真剣に写真を撮る感じではなかった。やはり娘とはいえ自分勝手に自分のペースで進めるのには抵抗がある。それは何を言っているかと言えば、この伊丹夜間撮影のことを少し想定して超高感度なD500を購入し、70-200/F2.8と200-500と三脚なんていう「重量重り三兄弟」を持ってきていた。しかしどうも三脚をセットし、カメラをだしレンズを装着しと言う気持ちにならない。そして10機くらいの着陸を楽しんだ後、まだマジックアワーにもかかわらず伊丹を後にした。しかしそんな気を知ってか知らずか「なんでカメラセットしなかったの?」なんて言われたもんだから、ガクッととなった。

 伊丹空港を18時半に出て向かうこの日の宿へ向かおう。1日早い行程であったが楽天トラベルで残り1部屋をギリギリ予約できたのが

●神戸

であった。でも一般道で行ったら帰宅ラッシュで混みそうだなぁ?と思ったにもかかわらず、1時間で神戸に到着。車の流れがいいのである。信号のつながりがいいというか、なんというか、東京の地元路にくらべ断然快適であった。少しわかりにくいところにあったが、娘のかみさんより断然分かりやすい誘導で問題なくホテル到着だ。





■■■ その5 ■■■

 初日のホテル。何が嫌かって、オッサンとJDが一緒にチェックインするのにどう思われているか?である。親子だよ親子、顔似てるでしょ。そんなの気にする必要ないじゃん、と言う人もいるけどやっぱり気になってしまう。なので不必要な小芝居なんかをしちゃうのだが、それがまた嘘っぽく取られているような気がして、つまり何をやってもダメな感じだ。

 「○○(娘の名前が入ります)、お母さんにメールしておいた方がいいんじゃないの?」「○○、”お父さん”の荷物ちょっと持ってて」「○○、今度家族みんなで来ような」とかとか。う〜む、今書き出してみても、どうも怪しいとしか見えない。とすれば、余計な小芝居はしない方がよいかも。

 なにはともあれ、お腹が空いたので三宮の街に繰り出そう。しかし伊丹の駐車場探しでオロオロしたにも関わらず舌の根も乾かないうちに、ココはさぁ、横浜と同じで感じで中華街があってさぁ〜などと少し自慢をしながら、元町アーケードや中華街や大丸前を歩いて行った。で、三宮のガード下のなんだか怪しい雰囲気に連れて行きたかったが、ガード下は夜は閉まっているのね。しかし神戸っぽい食べ物は?というと、明らかに「ステーキ」なのであった。もう右を見ても左を見てもステーキ屋なのである。肉の塊って感じじゃなかったので、こじんまりした10カウンターくらいしかない餃子屋に入った。このこじんまり感がなかなかよろしかった。

 珍道中初日、ほとんど寝ていなく娘もだいぶ疲れている様子で、神戸の夜景を見る撮るはもうあきらめてホテルに戻り翌日6時半に目覚ましをかけて就寝した。いつもの早朝散歩する元気もなく朝までぐっすりであった。




 さて珍道中2日目。急遽1日増えたのをどこに費やすか?いろいろ考えた。でも話の中で「私人生で今日一番西に来た」というので、ならさらに西に行こう。神戸から西に行くならやっぱり「姫路城」である。結果から言うと今回の珍道中で娘が一番良かったと言ったのがこの「姫路城」であった。

 チェックアウト道中スタートは8時。くねくね曲がらず男一直線よろしくどこまでもまっすぐな国道2号を西へ行く。途中に明石海峡大橋をくぐると「オースゲー」と叫び、西明石駅からまっすぐ2号に行くか、ナビが示すR250号に行くか少し迷ったけど250号に行ったら「オースゲー」ガンガン走れるじゃんと叫んだ。そして

●姫路城に到着!

 確か1991年、かみさんと夏旅行で中国地方一周を1週間でまわったとき、夜トラックに囲まれ怖い思いをして東名名神加古川バイパスと走って最初の目的地である姫路城についたのもちょうど同じくらいの時間であった。当時も姫路城はすごかったが、平成の改修後の姫路城もやはりすごい。でも心なしか白すぎないか?と思えた。実は「ZO-3ギターパーツを売ってほしい」とHPを見て連絡してきた人が姫路の人で、その人いわく「改修が終わった直後は”白鷺上”ではなく”白過ぎ城”と呼ばれていたんですよ」と。




確かに・・・





■■■ その6 ■■■

 その姫路城、開城間もなくということもあり、程よく人が少ない。やはり観光地は平日に限る。そして面白いのは、平日にいかにも「サラリーマンが出張で来たぜ」という人が多いこと。週の真ん中水曜であるからして、午後の打ち合わせのため前泊したのか、昨夜打ち合わせが終わって後泊したリッチな会社なのか、どうなのだろう?そして一人で来ていたおじさんサラリーマンはおとなしく「写真撮ってもらえますか?」となる。グループで来ていたオヤジ軍団は単にうるさい連中となる。

 しかし姫路城はチケットを買う前からすでにノックアウトされたが、チケットを買って城壁の中に入ると、また圧倒されるほどの感動が味わえる。昔の人って本当にすごい。今俺にこれを設計せよと言われてもできないぞ。そして当たり前といえばそれまでなのだが、見る場所場所によって顔が変わるというか、10倍楽しめますね!的な姫路城が見える。その一部は以下参照。

まずはお堀をくぐってどっかーンと見えて圧倒されるところ。



次に、やはりその場所から天守閣をアップしたくなる。白過ぎ城って確かに思った。



どこからでも撮りたくなるのが姫路城。どのアングルもいいし、誰が撮っても絵になる。



チケットを買って中に入ると、西側から回り込んでいく。おお城壁が意外にいい感じ、となる。



おお、この感じ。まさに絵になる。と思ったら、横を歩いていたオッチャンが「ここはねぇ、姫路城で一番の撮影ポジションですよ。」と教えてくれた。



お城の中を見終わって出てくるとこんなふうに撮れる。



そして天守閣前の広場から真正面ショットを撮る。



西の丸(百間廊下)からの眺めが一番好きかも。



西の丸は思いのほか人が少ないし。



ということで、さすが姫路城、前半と後半に分けるしかない。では後半をお楽しみに。





■■■ その7 ■■■

 姫路城は最上階まで登れるのだが、面白いのはフロアを上げるにしたがって明らかに床面積が減っていくことである。外から見た姿を見ればそれは当たり前のことであるが、その当たり前がなぜか面白い。

 しかし外国人が多い。特に中華系外国人は大挙している。その他に面白いのは、明らかにクラブのお姉ちゃんとお客みたいな組み合わせが結構いることだ。このクラブのお姉ちゃんが中国のお姉ちゃんになると、動物園でよく見る光景になる。「ねえぇ、どこか連れて行ってよぉ〜(中華訛りで)」「そうかい、なら多摩動物園に行こう」「・・・」ってな感じ。

 さて姫路城は見ても壮観、中だって面白い。これは弓矢鉄砲で相手を攻撃するところ。○△□と「なぜこの形なの?」という疑問は同然である。その場で話好きのオジサンが言っていたけど、縦長□は弓矢用、○と△は鉄砲用らしい。では○と△がなぜあるか?なぜかお寺や神社にいくと○△□の石灯籠みたいなのがあるけど、それに由来しているんじゃないか?と。まあ不思議があったほうが想像する楽しみがあっていいかもね。




 その鉄砲孔も考えられていて四角錐形状になっている。確かに相手方は狭く打ち手側は広い方がいいよね。何事も考えられているものを見るのは気持ちいいね。




 さて城内には各フロアにこんな説明がある。透写光で見やすいし色使いがお役人っぽくなくて好印象だ。




 階段は急である。手すりがないと怖くて登れないし降りられない。昔の侍はこんなのシャカシャカ登っていたんだろうなぁ。




 しゃちほこって龍のように想像上の生き物だって初めて知った。というかこういう文化的なものにはめっぽう疎い自分が嫌になるときがある。




 姫路駅からの大通り。ネットで知り合った姫路の人が言っていた。姫路は前は路面電車とか走っていたけどそれもなくなってさびしくなった。みんな来るのは姫路城だけで、クルマできてそのまま次の観光地に行ってしまう・・・。す・す・すみません、前回も今回もまさにその通りで・す・・・




 多分なぎなたがたくさんかけられていたんだろうなぁ。




さて本丸を見終わると出口までに間に「模型で語る姫路城」みたいなエリアがあった。この手のエリアは結構定番であるし、モデラーの心をこちょこちょくすぐるのは間違いない。この姫路城の骨格模型はなんと「1/20」である。1/20といえば言わずともしれたタミヤが始めたF1のスタンダードスケールである。とうことはこの姫路城模型の前にF1を並べるとスケール合致! 印象としてF1の方が大きすぎる(姫路城の縮尺率がもっと大きい)を思ってしまう。




 こっちもいい。城下町ジオラマである。タモリ倶楽部なんかで取り上げられることの多い、街のジオラマ。自分の家が広かったらこういうの是非やってみたいものだ。




 当時のお城はこんなだった。と言われてもすぐわかるのは西の丸庭に建物があったのね、くらいだ。




 このジオラマで面白いのは、城下町の家々である。すごく整然と並んでいるんだね。一軒一軒分かれているのはくらいの高い武士の家?




 こっちはいわゆる「長屋?」、こういう疑問を通して歴史の勉強がしたくなってくるのである。学生の勉強だとなかなか気合が入らないが、実物を見るとこう思えるってことを学校の授業に生かしてほしい。単なるつめこみ暗記が勉強と思っていないかねぇ?日本の教育・・・




 さて本丸を見終わるとみんな帰路につくわけだが、実は「西の丸」ってのがある。廊下に部屋が敷設されたようなところであるが、ここはあまり人が来ない。つまり「静か」でよい。入口のお姉さんに「人少なくていいですねぇ」と言ったら「そうなんです。本丸に来た人の1/3から1/4くらいしかこちらには来ないんですよ」と。しかし西の丸は思いのほか地形が高い。ということで、その高い地形から本丸を見ると、その城壁と相まって姫路城が一番いいアングルじゃないの?と思えた。姫路城に行く人はぜひ西の丸に行くべし。下は本丸からみた西の丸。




 あまりにも良すぎた姫路城だったので、1時間くらいかなぁ?と思っていたのが2時間半も滞在してしまった。まあのんびり行き先を決めない旅なので、それはそれで問題なし。

 さて次はどこに行こう。あと半日。泊まりは大阪の千里・・・





■■■ その8 ■■■

 姫路城の次、全く計画を立てていないとは言っているが、さすがにそんなことはなくいくつかプランは持っていた。その一つが「瀬戸大橋を渡る」である。これも27年前の旅行でやったプランである。そのプランとは、瀬戸大橋の本州側端の「児島駅」から電車で四国到達点の「坂出駅」まで電車で行き、帰りはバスで帰ってくるというパターンである。それが結構面白かった。ついでに鷲羽山にも行ってこよう。そしてそのプランは「人生最も西に行った!」という点で即採用となった。

 時間は12時半、距離は約130q、ガソリン入れる時間も合わせ「児島駅発14:05」に乗れるか?その次の14:27は乗れそうだ・・・というスケジュールを念頭に置き中国道を走った。しかし高速は早いけどインターに乗るまで、もしくは降りてからの一般道はやっぱり遅い。なので14:05は無理だった。到着時間は14:12であった。30年前の児島駅は駐車場無料だったが、さすがに30年たつと有料である。

 児島駅、四国への渡る本州側根っこの駅であるが、別に普通の駅であった。この辺りの産業がジーンズデニム生地らしく、駅内にそれがディスプレイされている。ひな祭りはとうに過ぎているけど、まだ出しているのね?というのはあえて無視することにした。






 ホームで「にわか撮り鉄」になったあと電光板に出た27分の電車に「特急」と書いてある。ん?特急なの?特急券いるの? ちょうどその場に車掌さんがいたので聞いてみたら「車内で私が特急券販売しますから」と。フムフム、一駅なのに特急もないよなと思い、「坂出駅までは特急券いくらですか?と聞いたら「ああ、27分は坂出駅には停まりませんね」と。ガーン。なら次は何分なんだ?まさか30分も待つのか?と掲示板を見たら35分だった。良かった・・・



 黄色の特急は何となく味があるけど、快速南風はステンレス車両でどうも味がない。まあよそもんに「味がない」と言われても困るだろうが。





 さて快速南風に乗った。平日の14時台、電車がガラガラなのは当たり前である。瀬戸内がのんびりしているのか、はたまたこの時間がのんびりする時間帯なのか? 3月という春の陽気がそうさせているのか? いずれにしてもホンワカしていることには間違いない。そして電車発車、走り始めると30年前の記憶が一気によみがえってくる。最初は林の中を抜ける感じ、そして一気にどっか〜んと海が広がる感じ、でも道路の下に鉄道があるので柱に邪魔されて実はうまく写真が撮れない感じ・・・それら脳の自分でアクセスできない領域の記憶に一気にアクセスできた。人の脳って面白いね。電車の中でも放送していたが、瀬戸大橋は開通30周年らしい。確かに27年前、新しくできた瀬戸大橋わたってみたいよね、でも車往復すると1万円だよね・・・といった記憶がある。






 27年前、帰りのバスが立ち寄った途中の島にある「フィッシャーマンズワーフ」を楽しみにしていたのだが、なんと取り壊されていて、「太陽光発電所」になっていた。確かに流行りそうな予感が全然しなかったんだよね。そして四国エリアに入ると、坂出地区がコンビナートであることが分かった。でかいガスだか重油だかを詰め込めるちょうでかいタンクなんて初めて見たぞ。



 実はこれはガスタンク船らしい。なぜわかったかといえば、通勤時間のお供である「日経ビジネスオンライン」に「日本の中高生がすごすぎ」みたいな記事があった。日本のエネルギー売買を中高生がチームで競い合うイベントがあったらしい。そこでの中高生の振る舞いがプロ顔負けだったらしい。もうダメダメな学生像しかなかったが一気に学生が頼もしく見えてきたのであった。そこで登場したのが、このガス船である。








■■■ その9 ■■■

 坂出駅到着。2度目の四国。四国でしょ、うどんでしょ、お腹空いているでしょ、なのでお昼は「四国のうどん」脳になっていた。そして駅から出ると

「あれ?バスないじゃん」

 電車で渡ってバスで戻る・・・ってのが最高の観光に思えて27年前をトレースしようと思ったが、バスが無くなっていた。確かに途中のフィッシャーマンズワーフを見て、その消滅事実に薄々感じていたが、こりゃ帰りも電車じゃんと。地方都市の厳しい現実。さらに

「すごく寂れてるじゃん」

 駅前の海側なんて人がいない、シャッターが閉まりっきり、イオン一軒のみだがそのイオンも元気ない、である。さらに駅陸側に移動してみるが、まず店がない。ネットでしきりに食事処を探すが、全部「昼は14時まで」とか「15時まで」で、うどんどころか、何も食べるところがない。地方都市のもっと厳しい現実。

オーマイゴー

 こんな遠くまで来てこれかよ、っていうか、毎回やってしまう食事逃がしに自分に腹がたった。東京みたいに食べたければいつでも食べられる・・・ってのは間違いなのである。お昼は14時までに店に入らないと食べられない、ということを今後我が家の家訓とすると決めた。でもここで検索した坂出の有名うどん屋は12時前に閉店って感じで、結局だめだったんだけど・・・

 ということで何の成果もなく、ただ瀬戸大橋を渡っただけという2時間強は、これからの我が家の笑い話として語り継がれることだろう。まあそういう失敗談こそが面白いんだけどね。

 そして再び本州に戻った父娘は「鷲羽山」を目指した。前回は早朝の鷲羽山山頂を制覇したが、なんとなく時間が押してる感があり(一応考えている予定があるので)、鷲羽山は第2展望台っていう駐車場からすぐのところとした。ああ、軟弱。しかし曇天だと遠くが霞んであまり迫力がないのが惜しかった。




 前に来たときは橋の真下の公園からも見て「すげー」と叫んだのだが今回も見つけた。真下からフィッシュアイで撮るぞ、と意気込んだのだが、なぜか撮っているときもぴりっとしないし撮った写真を見てもぴりっとしない。まあ写真を撮るのが目的の旅ではないから、と言い訳しておこう。









■■■ その10 ■■■

 さて帰りも中国道をひたすら走り、ちょっと期待してた伊丹空港もパスして、そのままホテルにチェックイン。しかし南千里のホテル周辺は全然つまらないのと、ホテルが駅すぐそばなのと、やっぱり大阪は見ないとね、という3つの矢が同じ方向を向いたってことで、「大阪はキタとミナミがありまして、キタは東京でいえば銀座、ミナミは渋谷なんですわ」と昔に聞いた記憶を呼び出して、まずはミナミに向かおう。

 大阪はどうも勘所が働かない。地理的位置関係が良く分からない。のだが、良く分かったのはどこにでもおいしそうな店だらけっていうことである。どこに入っても満足できそう。繁華街じゃなくても、その辺の駅横でもどこでもおいしそう。で、降り立った

●大阪なんば駅

 降り立ったところのすぐそばにアーケードがあって、どうもここがメインストリートっぽい。しかし人が半端じゃない。もう21時過ぎっていうのに、あふれんばかりの人がいる。どこからわいてくるんだ、この人。しかし少し観察すると半分は中国からじゃないか?というくらい中国語が飛び交っている。見たいのはグリコと橋とカニ道楽とポンポコ人形だ。




 グリコは「絵」っていうイメージなのだがLEDなのね。っていうか、すごーく古いコナンの映画をかみさんたちが見ていたら、それもLEDグリコだった。実はもうだいぶ前にLEDになったのね。




 大阪と言ったらこれでしょう、というかに道楽。驚いたことにちゃんとカニを食べているみたい。だって店の外までカニの匂いがプンプンするのだ。ちょっと離れてもプンプンしてて、いやおうなしに食欲を誘うのである。




 勝手に「ポンポコ人形」と命名したが、娘はなんとか!と正式名称を知っていた。でも覚える気がないものはこの年になると、すぐメモリ消去モードになる。まあググればすぐわかるのだけど・・・




 娘が大阪に求めているのは「お好み焼き」である。私も一度大阪で食べたお好み焼きが美味だったので、お好み焼き屋探しを敢行。しかし分かったのは、お好み焼き屋は案外少ない!である。裏通りにまで探索の手を伸ばしたが、逆に裏はクラブやらキャバレーやら怪しげなオーラがバンバン出ているエリアなのであった。まだ10代の女の子をこんなところに連れてきていいのか?と思うようなところである。しかし娘を連れていることで「客引き」に会うことは一度もなかった。確かにオヤジと若い娘という組み合わせはお客さんとして釣れに釣れない組み合わせだろう。

 昼食が失敗したこともあり、早くお好み焼きが食べたくてしょうがない。あれこれ横丁を探し放浪していたら、何やら外国人向けっぽいちょっとこぎれいなお好み焼き屋があった。ちょっと高そうであったがもうお腹は空いているし喉はカラカラだし、選択の余地がないのでGO。

 カウンターに座ると目の前に広大な鉄板が広がっている。そして店員お兄さんとの会話 @「何にしましょうか?」A「何がお勧めですか?」B「やっぱり一番高いこれですかね」C「じゃあそれにしようかなぁ・・・」というやり取りがあったのだが、東京人はウイットにかけることが白日のモノにさらされたのがBである。多分大阪ではCと応えてはいけなくて、何やら気の利いた言葉を返すのが大阪人。ということで店のお兄さんは少しあわてて、いやいやそんなんじゃなくていいですので・・・とフォローを入れていた。ああ、つまらない東京人になってしまった。もうう少し大阪精神を見習わなくては。

 おいしく食したお好み焼きや間違えて頼んだ焼きそばや、食べたりないので頼んだたこ焼きに大満足して店を出た。そしたらそこは「法善寺横丁」なのであった。気が付かなかったよ・・・




 さてホテルについたら雨になっていた。翌日の予報も雨、さて明日はどうしよう?





■■■ その11 ■■■

 さて旅も後半戦、なのであるが朝起きると雨ザーザー。旅で雨になるとやはり心がしぼむ。なので出発の準備もノロノロだし、どこに行くかも決めきれない。一応夜は奈良泊なので最終的には奈良に行くが、その過程が決まらない。いつまで経っても決まらないのもなんなんで、とりあえずもう一度伊丹空港に行ってみることにした。実はちょっとした穴場を教えてもらっていて、それを見せたかったというのもある。千里南から20分ほどで伊丹空港に到着。そのポイントとは、

「機長に手を振ったら機長が手を振って返してくれるポイント」

である。前回の伊丹で知り合ったKさんが教えてくれた。娘は海外旅行マニアになってから「外人の機長は全員かっこいい」なんて、100年前から言われ続けてきたようなことを言う。その「機長が自分に手を振ってくれるなんて、すご〜〜い」と叫び、わくわくしている。ちょっと雨だったので車で待機し、でかい飛行機が出てきたらおもむろに車から出て、ちょっと高い台に上って二人で手を振った。そして機長が手を振りかえしてくれる

「はずだった」

はずだった、というのは「振りかえしてくれない」という意味ではない。「振りかえしてくれているのが見えなかった」という意味である。その瞬間お父さんはあることを思い出した。それは伊丹のKさんが言った言葉、「佐藤さん、機長は絶対手を振りかえしてくれるんで、そこをばっちり撮影してくださいね、”望遠で”」。そう、コックピットは翼の向こうで遠いのである。望遠じゃないと見れないのである。つまり生では見れないのである。それをすっかり忘れていて、肉眼で見れるものと勘違いし、娘を雨の中引っ張りまわした私は、ちょっとバツが悪かった。当時のパイロットさんが手を振っていたのはこちら(望遠+トリミング)。




 しかし雨が降る伊丹空港を見ていて、実は「おおこれ撮りたい」とカメラ魂がむくむくと起きた。それは着陸時の「巨大水しぶき」である。雨なら雨のいいところがあるのだ。でもそれは一人で来たときのおあずけにしよう。さて気を取り直し、ここまで来たのならと、空港最北部の駐車場ありの公園に行ってみた。幼稚園児たちがカメラマンの前でわざとらしいポーズをとらされていたぞ。




 伊丹空港周辺で無料駐車場はここだけ、心置きなく車を停められる。本当はここから土手を歩いて、着陸する飛行機を真正面から捕えられるポイントまで数分歩くのが良いのだが、雨だし、すごく寒いのでやめた。公園には幼稚園の団体が来ていた。

 さてこの公園ではやはり特別見るものもなかったので、雨のドライブで奈良に向かう。阪奈道路なる道路は日光いろは坂もびっくりって感じで、通行方向によって道路が全く別のルートになってて、くねくねカーブがすごいし、頂上を越えると高速道路並みの一般道だった。晴れていたら抜群の景観だっただろうと思う。そしてこの阪奈道路に乗ったらあっという間に奈良についた。時間は昼過ぎ、ホテルは近鉄奈良駅のすぐそばで奈良公園が目と鼻の先にあるナイスなロケーションだ。そして初めてまともな昼食にありつけた。そしてこのうどん屋、結構当たりでまた来たいと思わせるところであった。こういう食事処に出会うと嬉しいね。





■■■ その12 ■■■

●さて奈良といえば法隆寺

 クルマはもう24Hパーキングに入れっぱなしなので、法隆寺駅なんてのがあるくらいだから電車で行ってみればよい。でも近鉄奈良駅からJR奈良駅までがまた遠い、さらに途中「御朱印帳持ってきた?」「あっ忘れた」なんてやり取りがあって結構な距離を歩いたが、われら父娘は歩きにはめっぽう強い。普通の女性はすぐ音を上げると思うが、すたすた歩く歩く。娘ながら感心する。

 旅に出てローカルな電車にのんびり乗るということほど「リッチ」と感じることはない。郡山や大和小泉なんていう味のある駅名の次に目指すべき「法隆寺」があった。しかし法隆寺駅、目の前に法隆寺があるわけではなく、2k弱歩かなくてはなない。まあ歩くのはいいが、どうせなら味のあるところを歩きたいところだが、普通の幹線道路であって、味も素っ気もあったものではなかった。ちょっと残念。

 以前紀伊半島を一人でドライブしたとき法隆寺にも行ったのだが、その時から31年たった法隆寺は全く変わっていなかった。

 しかし歴史に圧倒的に疎い私は、法隆寺はそれが「古いお寺」以外の知識を持ち合わせないくらいのヘタレである。毎回勉強してから奈良京都を見るといいよなぁ、と思いつつそれができないのだ。ということで今調べたところによると、法隆寺は聖徳太子が建てたらしい。まずは大講堂と五重の塔が法隆寺のアイコンである。






さらにヘタレはセットで入れる「宝物館」でも発揮された。歴史的に貴重な国宝を見てもそれを理解できない。でも昔と違うのはそこに書いてある解説ボードを読むようになったことだろう。そして仏像をじっくりみる根気も身につけた。この後のなら散策でも仏像をじっくり見ることが多かった。そして仏像と対面するとなぜか自分の浅はかさやを見透かされているような気持になる。つまり嘘を見破られ自分の本当の姿がさらしだされる感じ。それだけ仏像に眼力があるように思われる。

 夢殿は聖徳太子を供養するための堂らしい。八角形の形もその意味を持つらしく、何やらそういう理由を知りたくなっている自分がいる。まことに俺らしくない。




 思ったよりさくっと拝観し終わり、法隆寺付近の味のある民家沿いを歩いていると、やはりマンホールが地域色満点でよい。




 さらに絶対1日の売り上げ500円いかないよなぁ、というようなタバコやに懐かしい人形を見つけた。娘に行っても絶対分からないそれは「ジャンボマックス!」である。我ら世代が子供のころに絶対見ていたの「8時だよ全員集合」に出てきたキャラクター。その巨大なマックスが自在に歩き回るところには、みな驚きを感じたと思う。




 さて法隆寺後にした我らの次の行き先は「京都」である。あれ?京都は初日に行ったんじゃ?と思われるかもしれないが、娘が母親に京都のお土産を買いたいとのことで、一路JRで京都に向かった。この電車移動はこの時ちょうど持たされていた「テレワーク用iPhone」が活躍した。休暇に仕事をするマインドは全く持ち合わせていないが、メールがたまりまくるのだけは勘弁してほしい。なので処理できるメールだけは処理しておくのにいい時間であった。

 京都に着いたのは夕方、本当はこのまま嵐山に行って「お土産や通り」で何か物色するのが良いのだが、この時間はもう閉まっているだろう。で、駅前京都タワービルに入ったら1Fがお土産やっぽくなっていた。彼女は京都で「箸」欲しかった。私など箸なんてその辺の100均でよしなのだが、いい箸が欲しいらしい。ちょうど前週にオープンしたばかりの箸ショップ、しかし彼女は決められない子ちゃんであって、箸を選ぶのに1時間以上かかっていた。付き合ってくれた店の人も大変だっただろうね。




 選び終わったころはもうとっぷり日が暮れていた。




 しかし母親の欲しがっていた物品が見つからない。ネットで調べたら駅ビルに京都風小物土産やがあると判明したが場所がさっぱりわからない。発砲歩き回ってやっと見つけたが所望のものはなかった。意外にないのね「竹細工の風車・・・」




 ちなみに関西はみな右側によると思っていたが、京都は東京と同じく左寄りなのであったぞ。






■■■ その13 ■■■

 奈良に戻るのは近鉄である。ホテルは近鉄そばなので車に戻って荷物を取り出しチェックインする。今回の旅行では3泊したわけであるが、実はこのホテルが一番安かった。しかしこのホテルが一番グッドだった。ゆる〜いチェックイン、広々したツインルーム、温度調節型のカラン、翌日ネタであるがおいしい朝食100円パン、正直また来たくなるようなホテルであった。近鉄奈良駅から徒歩1分である。

 さて夕食はどうしようか。神戸の餃子屋、大阪のお好み焼き、じゃあ奈良はなんなんだ?と考えても奈良でこれを食べるべし・・・ってのが思いつかない。あれこれ遠くまで歩きたくないし、ホテルのある商店街を1分歩いたちょっと小さく怪しげな「ビストロ中華」って店に入ってみた。なかなか良かった。こういう飛び込みで店に入るのは賭けであるが、当たったときは正直うれしいものがある。

 いよいよ最終日。

 地方に泊まったら朝散歩であるが、今回の旅行では寝過ごしたり雨だったりで実現できていなかった。しかし奈良ではすぐそばに「奈良公園・東大寺」があるってんで、さらに朝は快晴って予報もあって、久しぶりに一人早朝散歩に出かけた。前日からの寒波で氷が張るほどの寒さであったが、その凛とした空気は嫌いじゃない。

 歩くとすぐに興福寺になる。ここは娘が行きたいと言っていたので、この後行くことになる。




 そう奈良といえば鹿である。公園の片隅に鹿を発見。う〜ん、かわいい。




 バスの駐車場にも鹿。しかしこのあと、鹿はこんなもんじゃないことが判明するのであった。




 ●そして奈良といえば大仏

 大仏に会いに行くためには「南大門」である。こんな木造建築が何100年も前に平気に作らることに驚きを隠せない。






 南大門や東大寺付近はまだ6時台ってこともあって人もまばらである。なんとなく1000年の歴史のある東大寺を独占しているようでうれしいぞ。




 当然東大寺大仏殿はまだ拝観時間前なので入れないが。門の隙間から観光客皆無の大仏殿が写せるってのも結構ポイント高いと思う。






 さて東大寺鏡池をには鹿の痕跡がしっかり(ダジャレではありません)残っている。




 これはチョコボールではない。食べられないぞ。




 そしてベンチを見ると、「あああ、凍っているじゃないか!」と驚いた。3月も半ばを過ぎたというのに、こんなしっかりした氷をみてちょっと驚いた。




 奈良公園の東側は若草山などの山がそびえている。なので日の出が遅い。そんなこんなしていたら、大仏殿に日が差してきた。今日は天気が良くなりそうだ。






 朝や夕方は斜光になって、写真を撮るのに一番いい時間帯なのだ。




 ホテルに戻る道すがら、こういう漆喰壁は趣あるね。








■■■ その14 ■■■

 快適でアットホームで絶対また来たいね、というホテルを後にして、早朝散歩から数時間というのにまた東大寺に突撃した。娘は中学の修学旅行で来ているので行かなくてもいい空気を醸し出していたが、お父さんが見たいのである。9時前に大仏殿に着いたときには早朝とは違ってそれなりの観光客がいた。そして気が付いた。

「あっ、今日は土曜日じゃん」

 そう、ウイークデーを散々堪能しまくったのだが、今日は土曜日、観光客は多いだろう。でもその観光客はアジアの人だったりするので土日関係ないかも? 




 そして本丸、大仏殿。ああ、青空に映える大仏殿、無性に心が高鳴る大仏殿、とうとう31年ぶりに大仏殿。






 木造建築最大な大仏殿(今は建材の進化でもっと大きなものがあるらしいが)、1000年前に建築されたのだが何度かの焼失で現在のものは300年くらい前の建造らしい。でもこんなにおおきなものを作る技術、すごいねすごいね!




 そして人生3度目、いよいよ大仏とご対面だ。やはりその存在感に圧倒される。そしてその大きさと眼力から「自分が手の上で踊らされている小物感」を感じないわけにはいかない。嘘も見栄もなんにもなく、自分の「素」が見られている感じ。年をとるとスピリチャルなことが結構受け入れられたりするのであった。

 またよくよく見ると、大仏の背後に小大仏がいるんだ。




 中指が少し前に出ているのも何かの理由があるっぽい。さくっとググると、手のひらを前に向けてあげておくのは「恐れないでよい」と悟りの境地に導くためのしぐさとあるが、では中指がなぜ?というのには明確な解釈が無い。平面的でなく躍動感があっていいから・・・みたいに書いてあるところもあるが、確かにそうは思える。でも仏像とか見ていつも思う疑問。これは実在した人を手本にしたのか、それとも架空のものなのか?細い目と長く垂れた耳はデフォルメ感を感じるが、手はまさにリアル。




 これも知らなかったが、大仏の傍らには「蝶」もいたんだ。この蝶も実は架空の蝶らしい。蝶は昆虫なので6本足なのであるがこの蝶、8本足であるから。




 大仏のスケール感を写真でうまく表現できないのがもどかしい。




 それにしてもこういう木造建築って「設計図」はあったのだろうか?それともすごい頭のいい人が自分の頭の中に設計図があったのか?




 姫路城の階段も急だったけど、大仏殿の階段ははしごに近いぞ。天井アクセス用なのかそれとも屋根アクセス用なのか?




 大大仏の左には中大仏がいた。こちらは金箔仕様。手は大大仏とは違って左あげ。




 こちらは右側にいる中大仏。大大仏と同じで右手あげ。つまり左右の中大仏はシンメトリーになっている。なかなか興味深いぞ。








■■■ その15 ■■■

 仏像が一つのジャンルだとしたらもう一つのジャンルが「鬼や仁王」っていう怖い顔系だと思う。この怖い顔系は生物学的にはこんな顔ではないと思うが、気持ちを大きくデフォルメしたものであると思う。そして着ているものも仏像系のシンプルな「けさ」とは違い、中国系鎧といういでたちである。仏像さんには心を見透かされるような「静的」なものを感じるが、仁王系はまとっているものに興味がいってしまう。本当にこういうものを来ていたようなリアルさがある。実はこの後に行く「興福寺」の宝物館にはこの手の像がたくさんあり、じっくり観察してしまった。昔の自分には考えられないことである。




 像は木が材料である。しかし工作機械もない時代、手彫りでここまでできることに驚きを禁じ得ない。今の時代の人がすごい!とは決して言えないよね。




 なんと右側の剛腕系君は手に「塔」を載せているではないか?




 さて普通の人は大仏殿内を1周するだろう。しかし大仏の後ろで私は「モデラー」の血が騒いだ。こんな完成度の高い模型を見せられた日には、これから自分が模型を作るモチベーションが亡くなってしまうぞ。




 これ実物じゃないよ、模型だよ。




 模型の中に大仏がいるじゃん。これすごすぎ。




 入口付近には御朱印帳記載窓口がある。東大寺ってなんとなく力強い感じがするが、文字もその通り、力の入ったいい字だった。




 大仏殿を出るとさすがに人も増えてきた。やっぱり観光地は早いうちに入るのがいいね。




 しかし観光客は大仏殿よりもむしろ「鹿」の方がお気に入りみたい。その観光客も見た感じほとんどが中国からである。そして中国の方々は「赤」のコートを着ている人がやけに多い。赤・金・8が中国のお気に入りだからかねぇ?






 鹿さん、切った角がかゆいのか、決闘モードなのか、角を付き合わせ「カツカツ」やっている。でも意外に凛々しい顔でちょっと見直したぞ。






 本当に大人気だねぇ。




 南大門っていえば、やっぱりこれだよね。









■■■ その16 ■■■

 大仏殿を見終わって次なるターゲットは

●興福寺である。

 なぜ娘が興福寺に行きたいと言っているのか?は特に聞かなかったが、あまり期待もせずに入った興福寺は結構良かった。興福寺は良く聞く「藤原鎌足」が病気になってその回復を祈願した奥さんが作った寺らしい。何が良かったかって言えば、やはり国宝館である。よく見る「千手観音菩薩」や「阿修羅像」「金剛力士」「梵天」などなど、等身大の像が目の前で詳細に見れるのである。さらに近くで見れるから、羽織っているものや、着ている鎧、サンダルのような履物、全くデフォルメされていない顔、動物の頭を利用した被り物、鳥と人のハイブリッド、なんとなく困っているように見えるその目、1000年以上前のものが今まさに目の前に存在するその不思議な感覚だ。今書いていてもまた見たくなってきたぞ。

 五重の塔が有名みたいだけど、最近はこういう絵になる建物よりも、むしろ「像が好き」ってかんじだな。




 南円堂。あまり感動はない。ただし、南円堂横のご朱印窓口は大混雑だった。御朱印も丁寧に書くとそれなりに時間がかかるから、あっという間に行列になっちゃうんだよね。






 欧米の人にも大人気な鹿ちゃん。この人たちが奈良公園に行ったら狂喜乱舞になるのだろうか?




 さて、興福寺を見終わり、時間は12時前。ここで娘が「まだ買えてない肉まんを買いに行く」という。昔好きだったアイドルが「大阪の551の豚まんは最高!」と言っていたのが頭に残っていたらしい。大阪の御堂筋では店を見つけられず、京都では行列がすごくてあきらめた。今を逃すと買えない・・・ちゅーことで、娘は近鉄でいく駅を戻り豚まんを買いに、お父さんは前日食べたうどんが忘れられず再度うどん屋に。

 車の中でお腹いっぱいにも関わらず食べた豚まんは激ウマだった。










■■■ その17 ■■■

 さて最終日の午後、この後計画しているのは「谷瀬のつり橋」と「伊勢神宮」だ。

 谷瀬のつり橋は、何度も言っている30年前の一人旅で見つけたつり橋である。どういう経緯で見つけたのかは今となっては定かではない。しかしずーっともう一度行って見たいと思っていた。娘に言ったらぜひいってみたいという。それなら行こうとなったが、唯一懸念されるのが、導入山の中に入っていくと、ひたすら細いくねくね道を走らなきゃいけなく、緊張した運転を強いられることである。

 ちょっとした渋滞とちょっとした高速道路の「無料区間」で楽をした後に、五条から山道にはいる。しかし快適なドライブだ。あれあれ?という間に、なんと翌日開通の高速道路ライクな超いい道(一部開通)になって、緊張を強いられる細い道はほんの少しだけ・・・という状況だった。やはり30年はだてに長くはない。

 奈良を出て2時間半のドライブで谷瀬のつり橋に到着。おおお、とやはり感動な景観である。谷瀬のつり橋は30年前当時は日本一長いつり橋であった。300mで高さ50m強。がっちりした吊り橋ではなく結構揺れるし下が丸見え。もともと観光用ではなく生活用としてつくられたそうな。






 そしてやっぱり怖い。この揺れは怖すぎる。絶叫マシン好きの人は絶対行ってほしい。そこいらの絶叫マシンなんてかわいいものだ。








 さて次の伊勢神宮に向かうため、30分強楽しんだつり橋を後にするとき、あまーく考えていたのが白日の下にさらされた。

 「間に合わない」

 伊勢神宮は18時まで。今は15時15分。1時間半くらいで行けると踏んでいたが、よくよく地図を見てGoogleに指南してもらうと160qあって3時間半。オーマイゴー。なんてこった。ダメじゃん。関西の地形が全く理解できていないのである。またこよう!と言って帰路につくことにした。

 さて帰り。なんだか「京奈和自動車道」なんて素敵な高速道路が開通したばかりであった。なんとGoogleにも載っていない。さらにもっと素敵なのが、「無料区間」っていう、今はやりのちゃんとつながっていないから今は無料にしといてやるよ、的な状態であり、なんか高架の眺め良い道で郡山まで戻れるっていう素晴らしいドライブ(一部一般道併用)。さらにだ、ちょっとだけ有料になるが、名阪国道なんていうなんでお金取らないんですか?的な高速一般道を70km以上も走れた。後日地元の人に聞いたところ、ネズミ取りのメッカだそうだ。

 谷瀬のつり橋からの帰りは順調で、名阪国道から一気に鈴鹿サーキットに行くときの定番である「東名阪」に合流する、ナイスな高速ドライブとなるはずだった。しかし東名阪と合流する亀山から渋滞である。確かに土曜の夕刻、渋滞の時間だ。

 渋滞が何よりも嫌いなお父さんの気持ちをよく知っている娘は、かみさんのナビ力の何10倍ものナビ力を発揮して、一般道(国道1号)に誘導し、さらに東名阪を絡めるように裏道を誘導し、渋滞している鈴鹿インターも回避し、渋滞が終わった四日市インターから無事に乗れた? ?というのは、あまりにも近道を優先するGoogleさんなので、四日市ICへの最短ルートとして田んぼのあぜ道みたいなところに誘導された。娘も「ちょっと怪しいけど・・・」と言っていたが、行ってしまえ!と言ったらハマった。田んぼのあぜ道から左折しておもちゃみたいな踏切を越えるのだが、あまりにも狭すぎてかつ真っ暗で曲がりきれない。何度か切り替えしをすれば行けるかもしないので、ちょっとチャレンジしたら・・・

「カンカンカン」

といいだしやがった。汗が出る。もう後ろが見えない、ボディーをこするとか言ってられず、あわててバックだ。幸いにも脱輪も傷もつけずに戻ることができた。良かった。もう急がば回れで、行けるかどうか分からないあぜ道を行ったら抜けられた。よかった。

 そして最後のミッションである「赤福購入」。私は絶対に食べられない赤福であるが、家族は赤福が大好きなのだ。なので関西に出張すると絶対「赤福購入」のミッションが与えられる。まあ赤福なんてその辺のサービスエリアでいくらでも買えるから楽チンである。

 まずすぐにあったSAでトイレも兼ねて突入したが「あれ売り切れ?」赤福って売り切れるんだ。では次のSAに行こう。あれ?ここも売り切れ? さらに次のSA・・・ええええ?ここも売り切れ? やばい。やばすぎる。家で赤福のことだけ考えているかみさんに何言われるかわからない。どうすればいいんだ・・・。と結構焦ったが関西圏を外れる最後のSAである刈谷でやっと見つけた。後々調べたらこれ以降は売ってないみたい。

 ということで、急きょ4日に増えた関西旅行、無事完了である。ああ、楽しかった!