小さい頃から音楽を聴いていて「脳の不思議」を感じることがある。それは、
曲(アルバム)は、それを「良く聞いていたときの環境」と一緒に脳に記憶されている
ということである。皆さんもそういう経験はあるのではないだろうか? 別に音楽に限ったことではないと思う。相模湖の朝散歩をした日に「WUXGAの液晶モニタを買うのどうしようかなぁ・・・」と散々悩んでいると、その後相模湖の横を通りがかると「WUAGAの液晶モニタ」が思い浮かぶのである。つまり記憶はその一点だけを記憶するのではなく、環境すべてひっくるめて記憶しているのだろう。脳科学本とか読めば当たり前のように書いてあるのかもしれないが、私のつたない経験からそう思った。
さらに音楽を一番覚えているのは、中学高校時代に聞いたものである。脳がもっともアクティブに記憶する時期っていうのはその時期なのだろう。今でこそ子供に言えることだが「若いうちに覚えたことは一生忘れないから勉強しなさい!」っていうセリフは若いうちはやっぱり理解できないのである。
以上の二つをあわせ言えるのは、若い頃に良く聞いた曲はそのときのイベントもあわせて記憶しているということだ。いくつかの例をあげると・・・
●高校1年の時、年上の先輩と付き合った
結構気合が入っていた。石野真子似で先輩がたからもうやらましがられた。しかし先輩が卒業する3月に破局は訪れた。一方、高校に入ってロック一辺倒だった私にオフコースの良さを教えてくれた友人がいた。当時テレビに出ないオフコースは一種のアナザープラネットの住人だった。「さよなら」はあまり好きな曲ではないのだが、当時はこれがベストテン番組などで軒並み1位をとっていた。さてその破局の3月、春休みというのに部活で高校に出かけたが、曇り空がどんどん暗くなり、午後から雨になった。そして夕方になるとやがて雪に変わっていった。そしてその日が最後の日になった。あああ、なんという出来すぎなのだろう。しかしけっして作り話ではなく、実話なのだ。とうことで、オフコースの「さよなら(そーとはきょお〜も〜あめ、や〜がて、ゆきになぁ〜って〜♪)」を聞くと今でもあの日のことが鮮明に思い出され、胸キュンとなってしまうのである。
●じいさまが死んだ
私が小4の時だった。親父の実家は福島相馬であり、毎夏帰省するとその日におもちゃ屋に一緒にいって、好きなおもちゃを買ってくれる、いいじいさまであった。死というのは突然来るものであって、ちょうど小学校の1学期終業式の日、家に帰るとなにやらどやどやしていた。今から相馬に行くという。今でも覚えているが、上野16時の特急に間一髪で飛び乗って(本当に間一髪だった〜乗ったらドアが閉まった)、じいさまのいる相馬に向かった。小4の私は死人というのを見るのが初めてであって、結構怖かった。そして火葬場までの3日間を経験したわけである。隣町の崖の近くにある火葬場はなんとなく暗い感じだった。一方その頃家でレコード大全集みたいなのを見つけ、気に入っていた曲があった。それが「ペルシア市場にて」だ。その二つの強い刺激が融合した。なので今でも「ペルシア市場にて」を聞くと、崖の横に立ったくら〜い感じの火葬場が思い浮かぶのである。
●クイーンを初めて聞いた
のは、中学に入ってすぐの頃、ちょっとませた吉永君(愛称:おやじ)がロックを集めたカセットテープを貸してくれたからである(吉永君、ありがとう〜)。そのテープが薄グレーのTDKカセットテープであった。インデックスシートはオレンジ色ね。その1曲目にファーストアルバムの1曲目「Keep yourself alive」が入っていた。ダカダカダーンダカダーンダカダカダカダーンダカ♪っていう6弦を使ったリフに衝撃を受けた。今回はちょっと早いまとめだけど、今でもこの曲を聴くとTDKの安テープが頭に思い浮かぶのだ。
という風に、音楽とその情景がセットで思い浮かぶってこと結構あるでしょ?