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■■■ ZO-3を語る ■■■


 ZO-3。なんとふざけた名前のギターだろう。

 ギターといえばストラトでありレスポールであり、異形のギターに嫌悪感を感じて、そのさえたるギターがZO-3であった。神聖なギターを侮辱している、と。自分では絶対買わないぞ、と。

 そして月日が流れた。角が立った若造は体も性格も丸くなった。そんなとき「佐藤さん、バーベキューやりましょう」と、メンバーの一人が言った。いいねぇバーベキュー。そしてそのバーベキューに来たひろさんが自家製のホルモンと合わせてZO-3を持ってきた。「触らないぞ、触らないぞ」との思いも自己内投票の結果圧倒的多数で興味が勝ってしまい弾いてみた。

「いいじゃん」

 何事も食わず嫌いは良くない。食べてみてまずかったらまずいといえばいいのであって、食べる前からまずいと言ってはいけないと、人生の教訓をギターの神様とフェルナンデスが教えてくれたのだった。

 そんなZO-3なのであるが、新品を買うまではいかず心の隅に置かれたままだった。さて「心の隅」はあくまで心の中なのである。「中」であればメモリーににはインプットされているわけであって、何かのきっかけで再ロードされるのである。それがハードオフであった。4,000円+税、おおこれなら買ってもいいかな?でも薄い水色だし、SWは折れてるし、さびが多いし、キズキズだし・・・と普通ならここでためらってしまうことだろう。しかしこの時はちょうどストラトジャンクのフランケン化にはまっていた時期で、このフランケンコンセプトをZO-3でやってみようと思いたったのだった。まあ既にそういうことをやっていた方がいたのだが・・・

 ハードオフは年々「掘り出し物」感がなくなってきている。壊れたものをジャンクで安く買い、それを直せる人が価値を享受できるってのが、ハードオフの正しい姿である。でも今は壊れていても高い。といいながらもこの水色ZO-3を買って、チャレンジしたフランケン化には大はまりした。その勢いで、ジェフベック風アイボリーストラトコンセプトなんかも作ってみた。クラフト大好きな私は、ZO-3の持つ「素材」としての価値がうれしいのである。安くてシンプル、正解がないからコンプリートを目指さなくてもいい、自分なアイデアをいかんなく投入できる、これが私がZO-3に心を惹かれていく要因なのであった。

 ZO-3はその外見から「ゲテモノ」扱いする人もいる。っていうか、私がそうだった。でも実はそうじゃない。結構ちゃんとしたギターなのだ。まずヘンテコミニギターとは違って、ちゃんとした639スケールである。レッドスペシャルやムスタングと同じである。これだけでまずギターの基本はしかっかり押さえていることが分かる。

 そして「音が出る」。これが最大の特徴だ。これがなければZO-3はあっという間にすたれただろう。いわゆる「エレキギター(なんか昭和の言葉っぽいなぁ)」はアンプがなければただのシャリシャリ、ぺけぺけした生弦音の出るギターである。むかし子供バンドがミニアンプを頭に載せてギターを弾いていたが、このミニアンプさえ邪魔といえば邪魔である。それをギターに埋め込むとは、いやはややってくれるなぁ。

 意匠の面からはその名前の通り「まさに象さん」なのである。ネックと曲がったヘッドが象の鼻、丸型SPネットが象の耳、、ボディーの2か所のとんがりは象の足、そして電源LEDが象の小さな目である。これが本当にかわいい象さん見える。これは誰が考案したのだろうか?一生懸命考えぬいたものではなく、エイヤッと気合一発で5分で作った意匠ほど、いい意匠になるってことが多い。ZO-3もそうなのではないか・・・

 さてなんだかんだ言って、2015年10月時点でZO-3は10台所有している。まあよくも集めたものだ。そして4台がフランケン化、1台がジェフベックアイボリーストラト化、2台はちょっと珍しいタイプだったのでオリジナルキープ、残り2台は実験用である。



■■■ ZO-3の弱点改善が目的 ■■■

 さて散々ほめたたえたZO-3であるが、実はいくつか残念な点もある。その一番大きな残念は「音がペケペケ」であることだ。音が出るのはいいけど、このいかにも「ジャズはアンプ一発クリーンサウンドで勝負だぜ」的な音は、ロック野郎としてはちょっとありえない。まあそれに応えたわけではないと思うが、ZO-3のバージョン展開モデルには「Digi ZO」というデジテックのマルチエフェクターを内蔵したモデルがある。これ、一度使ってみたいのだが、ヤフオクでもハードオフでも結構高値である。でもアマチュア自作魂至上主義の私としては、こういう安易な方向に流れることを由としない。木工加工や塗装で一通りやりたいことができたってこともあって、興味の方向は「ZO-3ディストーション内蔵」の方向に傾いて行った。

 昭和の子供はたくましかった。特に我が家は裕福な家庭ではなかったこともあり、周りの家であれこれ買ってもらっているものがない。プラレールやゲリラカイト、電子ブロックやマイキット、ああ欲しいなぁ、と思って幼少時代を過ごした。

 しかし今から思えば、このある意味「制約」が私をクラフトの道に導いたことは間違いない。無ければ自分で作ればいい。その辺で安く買えるモノをその使い方とは違う用途で使えばいいじゃん。分解だって楽しいじゃん。壊れたテレビを分解したときコンデンサに触り感電して、感電って吸い付くんだなぁとわかったり、配線を追いかければ不良な部品も分かった。時計をばらせば、ギアの仕組みも分かったし、買えなかった学研メカモを自分で作ろうとしてリンク機構も学習できた。

 今は何でも身の回りにあるし、スマホ1台あればすべの情報が入るしゲームがし放題。けど家電のケースをあけても中にLSIがドンとあるだけで、全然信号を追えない。そういう意味では今の時代、楽しくはない。

 ああ、脱線してしまった。




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